爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より「徒然草 訳者あとがき」

内田樹さんは池澤夏樹さんが「日本文学全30巻」を個人編集した際に徒然草の現代語訳を頼まれたそうです。

ちなみに酒井順子さんが「枕草子」、高橋源一郎さんが「方丈記」ということです。

 

文学研究の専門家ではないのですが、現代語訳ということで引き受けました。

それについて書かれたブログです。

blog.tatsuru.com

他にも有名作家が書いた古典の現代語訳というものも出版されていますが、あらためて「現代語訳」ということの意味も考えたそうです。

 

文章の内容や形式の吟味などは専門の研究者の出番ですが、現代語訳というものはそれとは少し異なります。

語義などは少し間違っているところがあったとしても、作者の意図を汲み取り現代の感性に移し替えるということは可能だということです。

 

その意味で徒然草原著者の兼好法師の想いを想像してみると、老境に入った彼は現在の自分だけでなく若い頃、そして近未来の瀕死の自分にまで自由自在に想いだけは飛び回り、その愉悦に浸りながら文章を綴っていたのではないかということです。

 

登場人物の「痛み」を想像しながら書いていたという、エピソード「「鼻の中が腫れて、呼吸もできなくなった」行雅僧都の病苦(四二段)。酒乱の男に腰を斬られた具覚坊の遭難(八七段)。「猫また」に襲われて小川に転げ落ちた連歌師の恐怖(八九段)。最も印象深いのは、座興で鼎を頭にかぶって耳も鼻ももげてしまった法師の話である(五三段)。」ではその兼好法師の「嗅覚と触覚を活性化させる手法」が一段と冴えているということです。

 

徒然草の一番魅力的な部分は「なんだかよくわからない話」にあるというのもそうかと納得できることです。

なにやら、この内田さんの訳文の部分だけでも読みたくなります。