爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「中国語は不思議」橋本陽介著

「近くて遠い国」中国の「近くて遠い言語」が中国語です。

日本の文字の基となる漢字を産み出し、多くの漢語もそのまま日本で取り入れられ、その文章も漢文として使われているにも関わらず、その言葉はほとんどの人が聞いても分からないものでしょう。

 

そういった中国語について、現代中国語の研究者である著者が様々な切り口で興味深い話を披露してくれます。

なお、中国語をきちんと勉強したいという人には他の本を薦められるようです。

あくまでも興味を引くためのものとしてということです。

 

そんな観点から、第1章は現在の漢字、簡体字というものについて

さらに「ピンイン」、語彙について、「三国志演義」は原文で読めるか。

中国語には「品詞」がない?、中国語には「時間」がない?といったもの。

さらに中国語の特徴として、どんどん「、」でつながる長文、そして文と文とが並列でつながっていくことなどが語られていきます。

 

中国語にはカタカナというものが無いため、外来語も意味を取った意訳ではない場合はなんとか漢字の読みをあてはめて合わせることになります。

マクドナルドは「麦当労」(実際は労ではなく似た文字)となりますが、これは北京語では「マイダンラオ」となります。

同様にケンタッキーは「肯徳基」となりこの読みは「カンダージー

これは中国人の耳が悪いというわけではないようです。

実は最初にこれらを翻訳したのが広東人であったからで、広東語ではそれらの文字は元の読みに近いものとなるそうです。

 

中国語には「時制」という文法カテゴリーが無いと言われます。

いやある、という人もいますが、少なくとも英文法でいうところの時制はありません。

「過去形がなくて大丈夫なのか」と考えがちですが、これは英語などの感覚で考えるからであり、中国語に慣れてくると「時制など別に要らない」となってきます。

大きく言えば、人間が流れていく時間を区切る認識の違いと言うことかもしれません。

 

中国語では同じような文が並列して次々と付加されるようなことが多く見られます。

この特徴について「流水文」と表されることがあります。

流れる水のように感じられるのが中国語の文だということでしょう。

日本語の場合も平安時代の文と明治時代の文、現代の文とではその全体としてのイメージ自体が変わっているようです。

 

著者はそもそも少年時代に三国志に魅せられて以来中国に興味を持ったのですが、高校生の時に中国語を習い始めた頃に三国志演義を原文で読みたいと思いました。

しかしちょっとやそっと中国語を習った程度では全く手に負えるものではありません。

日本で言う漢文というものは二千年以上も前の漢代以前のものでした。

話し言葉が早く変化していったのですが、それが文章にも影響してきたのが唐代から宋代、白話というものでした。

その白話で書かれたのが白話文学で、元代から徐々に見られ明代になると多く出現します。

白話は漢文よりは現代中国語に近いため、現代中国語が理解できなければ分かりませんが、三国志演義などは白話で書かれているもののその中には漢文的要素が多く、現代中国語だけでも分かりません。

結局、その両方に通じなければ三国志演義原文は読めないということです。

 

こんな興味深い話を見せられても、中国語を習ってみようとは思いません。