爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

本日見かけた迷惑運転「おばちゃんの慎重すぎる運転」

田舎町の少し街はずれ、住宅と田畑が混在するような道を歩いていると、信号のない交差点に差し掛かりました。

こちらは一時停止の標識があるので立ち止まり、後ろから来た車も横で一旦停止しています。

 

前の優先道路に左側から車が近づいてきたのですが、こっちは止まって待っているのになぜかその車も停止して周りを確認しています。

ドライバーは中年よりは高年というほどの女性。

「止まって待ってるんだから早く行け」と思いながらも何も言わずに待っているとそのうちにその女性も大丈夫だと思ったのか、おもむろに動き出し通過していきました。

 

実はこういったドライバーは特に中高年女性に目立つのですが、この辺のような田舎町ではしばしば見かけます。

 

狭い道や交差点などで他の車、自転車・歩行者などと接近した場合、たとえ自分側が優先であっても自分からは動かずに待っているという行動です。

おそらくは自分の運転の精度にまったく自信が持てず、ぶつけてしまうのを極度に恐れているのでしょう。

 

なお、確認はしていませんが、都会ではこういったドライバーはまずいないと思います。

こんなことをしていたら後ろに並んでいる車からクラクションの嵐でしょう。

田舎道では周囲の車というのが少ない状況ですし、もしも後ろから接近してくる車があってもそのドライバーものんびりしていますので、何も言わずに待ってくれるのかもしれません。

 

さて、こういった行動をしていても少し交通が滞る程度で実害は少ないと考えられるかもしれません。

しかし、周囲の車の行動次第では事故の確率が上がります。

こういった車が多いため、それに慣れ切ったドライバーの中には一時停止側であっても「どうせ止まるだろう」と考えて動き出す図々しい人が結構います。

これはだいたい中高年男性(田舎爺と言っておきます)が多いようです。

慎重すぎる田舎婆ドライバーもいつまでも動かないわけではありません。

周囲の車などが動かないとなると仕方なくおずおずと動き出すのですが、周りの車の中に田舎爺ドライバーがいると双方が動き出して衝突という危険性もあります。

まあ一旦停止からの動き出して衝突ですのでそれほど危険な事故にはなりませんが、かなりの損害にはなるかもしれません。

 

どうも周囲の交通状況の判断というものが悪いようです。

都会と比べれば自動車の数もはるかに少なく運転しやすいのは確かなのですが、周囲に気を配り適切な運転をしてもらいたいものです。

「戦乱と政変の室町時代」渡邊大門編

時代小説や映画テレビで扱う歴史時代のほとんどは室町時代末期の戦国時代か江戸時代幕末で、その他の時代はあまり見たことも無く、そのイメージもつかみにくいものです。

辛うじて学校時代の歴史で習ったことでは、初期には南北朝の争いがあり、応仁の乱から後は乱世となり戦国時代になだれ込むといったものですが、それでは室町時代の他の頃は平穏な世だったのでしょうか。

 

そんなことはないということを、室町時代が専門の歴史学者たちが書いてくれました。

これを見ると最初からあちこちで戦いが頻発していたようです。

その前の鎌倉時代も有力御家人たちが次々と殺し合うというものだったようですが、室町時代も負けず劣らずの殺伐としたものだったのでしょう。

 

扱われているのは、明徳の乱応永の乱上杉禅秀の乱永享の乱結城合戦嘉吉の乱禁闕の変享徳の乱、長禄の変、応仁・文明の乱、明応の政変ですが、辛うじて名前だけは聞いたことがあるのが、結城合戦嘉吉の乱、応仁・文明の乱といった程度。

それも誰と誰が戦ったのかもよく分からないといった状況です。

 

それでも分からぬままに読んでいくと、有力な守護大名、細川だとか山名とかが争うというのも多いのですが、それ以上に足利将軍家が乱の中心というものも多いようで、それも家臣の争いに巻き込まれてというだけでなく、将軍自ら主導的に関わる(というか乱を起こす)ということもあり、そういう時代だったんだと改めて納得します。

 

また関東を統治するために将軍家の分家のような形で鎌倉公方(のち古河公方)といったものが置かれ、それがまた戦の種になっていくというのも何度も起きているようですが、この辺はあまりにも煩雑になるためか高校の日本史でもほとんど習っていないことで初耳といったものが多々ありました。

 

結城合戦というのは、永享の乱で敗れた鎌倉公方足利持氏の遺児の安王丸と春王丸が結城氏にかつがれて反乱を起こしたというもので、15世紀半ばのものですが、これが失敗したことでそれまでの「鎌倉府体制」が完全に崩れ、関東管領上杉氏を中心とする関東の統治が成立したということです。

しかし上杉氏の勢力はさほど強くならずかえって足利幕府の直接の関与が強まったとか。

 

享徳の乱はその後15世紀後半に鎌倉公方であった足利成氏関東管領上杉憲忠の争いに端を発し30年に渡って続き戦国の世につながるのですが、上杉方の勢力として山内上杉とその家宰の長尾氏、扇ガ谷上杉氏とその家宰の太田氏といった名前が出てきて、太田道灌もこの時代に活躍したそうです。

ただし、太田道灌はあまりにも勢力を増したために上杉氏により粛清されたとか。

 

いやはや、よく知らない時代の話でしたが、室町時代も最初から戦国の世のような時代だったということが分かりました。

 

 

巨大風車の故障率は高く修理費用も莫大と言う話

巨大風力発電に期待が寄せられていますが、その実態は高い故障率と膨大な修理費用だという、またも当然すぎる話です。

motor-fan.jp

著者の牧野さんは新聞記者や雑誌編集者を経てフリーのジャーナリストということです。

 

ヨーロッパで特に風力発電が普及しているという話は多いのですが、実際にはその稼働は厳しいものだということです。

 

ヨーロッパにおける詳細な運転データが紹介されています。

風力発電は設置には多額の費用がかかるものの、その後はタダで発電してくれるというイメージが普通でしょうが、そのデータによれば運転にかかる費用は古くなるほど高くなっていくようです。

そして、比較的小型の装置ではその傾向が低く、巨大風車になると非常に強くなるとか。

 

この理由は、故障の多発と修理代金の高額化によるということです。

 

故障の実情はこの記事の後編にあります。

motor-fan.jp

故障個所のデータによれば最も多い部位は主軸とベアリング、そしてギアボックスといった回転部分です。

そしてそれが修理費用が高くなる要因となり、巨大風車の場合はベアリングだけ簡単に取り換えるというわけにもいかず、製造時と同様の足場を組み上げ巨大クレーンを使って行う必要があり、最悪の場合修理期間が2年間もかかることがあるとか。

 

日本でも風力発電への期待が高まり、特に洋上風力発電という大変なものが流行ろうとしています。

日本は気候の特性から風力発電稼働率が低いうえに、台風や冬の寒波の嵐などで猛烈な強風に見舞われる機会も多く、回転部の破損も危険性がかなり強いのでは。

その修理費だけでもとんでもないものになりそうです。

 

「NATROMのブログ」で線虫がん検査について解説。

ニセ医学と闘う内科医NATROMさんのブログで、「線虫がん検査」について解説されていました。

natrom.hatenablog.com

「線虫がん検査」についてはこれまでもニュースなどで報道されたこともあり、知ってはいたのですがすでに検査キットとして販売されており、その弊害もあちこちで出てきているようです。

 

線虫とは線形動物とも言われる体長1㎜以下の生物で、その一種のものが癌患者の尿に特異的に反応するということで、その性質を使って癌の発見ができると言われています。

HIROTSUバイオサイエンスという会社が作っているようで、サイトを作って広告をしていました。

lp.n-nose.com

 

なお「線虫がん検査」で検索するとHIROTSUの他にも色々な機関のものが出てきます。

かなり商売にしようという動きも強いものと思います。

 

最初に紹介したNATROMさんの記事では、HIROTSUが出している「感度と特異度」についての疑問が表されています。

この場合の感度とは「検査で陽性になった人数を病気がある人数で割ったもの」で、特異度とは「検査で陰性になった人数を病気がない人数で割ったもの」を表わしています。

HIROTSUによれば、この検査の感度は86.3%、特異度は90.8%とかなり高い値となっています。

 

しかし、NATROMさんの指摘によれば、この「感度」「特異度」は「がん患者集団」と「健常者集団」で産出されたものであり、一般のがん検診などのように「がん検診を受ける集団」という一つの集団を対象として出されたものではないということです。

これは同じようなもののようにも見えますが、実際には大きな差があり、感度特異度ともにこのような測り方をすれば過大に出てしまうものだということです。

(詳しくはNATROMさんの解説を読んで頂いた方が分かりやすいでしょう)

 

がん検診で使われるような検査も「バイオマーカー開発のためのガイドライン」によれば5つのフェーズをクリアしなければならないのですが、この線虫がん検診法は2つ目までしか実施されていないようです。

このような状態のものを、高額な価格を設定して売り出すということ自体、かなり問題と言うことです。

 

このようないい加減な検査がはびこる理由はとにかく儲かるから。

 

問題点を指摘してあるサイトもありますが、この検査で陽性となってもどこのガンかも特定されないために精密検査も数多くやらなければならず、その費用も高額となります。

それで何にも出なければ良かったねでは済まないほどのことになります。

 

私もこの原理が最初にテレビニュースで報道された時は、こういったこともあるのかと感心しましたが、こういう展開となると感心してもいられません。

 

インドで石炭からバイオマスへの転換が進む?植物が消えるのは確か。

人口増も野放し、自動車増も野放しのインドですが、石炭の使用がひどい大気汚染につながるということで石炭使用禁止といった処置をしたそうです。

それで広がっているのがバイオマスの燃焼だとか。

jp.reuters.com

しかしバイオマスの利用で窒素酸化物、イオウ酸化物の排出が抑えられ大気汚染が減少するなどと言っているけれど、大問題はその「バイオマス」で何を燃やすか。

 

「農業廃棄物から作る」などと言っているらしいけれど、そんな程度で収まるはずもありません。

結局は燃えるものは何でも使って植物体は根絶やしとなるのでしょう。

 

これは産業革命でエネルギー転換が起きたのとまったく逆のコースをさかのぼっているだけです。

それまでは薪などを用いていた燃料源が森林がすべて燃やされ禿山になってきたので仕方なく煤が出て臭い石炭を使うようになったのですが、その経緯を完全に忘れて元に戻そうとしているだけでしょう。

 

何か多くの行動が問題となりそうなインドです。

中国などと比べ物にならないほどかもしれません。

 

「戦争の世界史」マイケル・S・ナイバーグ著

今まさに世界を揺るがすような戦争が行われており、戦争を考えたいという思いは誰も持っているものかもしれません。

この本は戦争というものの歴史を人類文明の初期から現代まで振り返っています。

 

ただし、「戦争を止める・防ぐためにはどうすれば良いか」ということを考えるためにはあまり使えそうもありません。

というのも、著者のナイバーグさんは軍事史が専門の歴史学者であり、戦争というものが人類の歴史と切り離せないものだということを事実として書いているからです。

 

しかしだからと言って反戦を進めるために何の足しにもならないかというとそうではなく、戦争の実態、軍事技術、軍事システム、社会自体の構造、それを支える人々などについて詳述されており,、これらを基礎知識として持つことはそのためにも不可欠と考えられます。

 

本書は時代ごとに区分され、古典時代、ポスト古典時代、火器の出現、ナショナリズムと産業主義、第一次世界大戦第二次世界大戦、冷戦とその後と分けられて論じられていますが、その書き方は統一されており離れた時代でも比較しやすく書かれています。

昔々の戦争と中世の戦争、現代の戦争とはどこが違ってどこが似ているのか、そういった考え方もできるようになっています。

 

各章の構造はまずその時代の戦争の概観が語られ、その後に「兵士」「武器」、さらに「戦闘」「遺産」と続けられます。

もちろん主要な武器も時代を追うごとに大きく変化していきますが、それも各時代それぞれで深い意味があるということも比較してみていけば分かりやすいものでしょう。

 

しかしこれまで私自身漠然と感じていたことがこの本の中でははっきりと語られ、納得したものも多くありました。

古典の時代の戦争はほとんどが歩兵だったそうです。

まだ馬などの動物を安定して使うことができませんでした。

それが家畜の使用技術が向上し騎兵を主とする時代に移り変わっていきます。

のろのろと歩く歩兵部隊を蹴散らす騎兵隊という有様が見られます。

産業革命以降は工業的に兵器を製作する技術がどんどんと進み(進歩とは言えないかも)その結果殺傷能力も格段に増加、戦死者も桁違いとなります。

第一次世界大戦の死者の数は当時はとんでもないものと捉えられましたが、そのわずか後の第二次世界大戦ではそれとは比べ物にならないほど多数の死者が出ました。

民間人の死者が格段に増加したのも第一次世界大戦以降だったそうです。

 

疑問に思っていたことが氷解したこともいくつかありました。

重装歩兵が主力となっていたのが古代ギリシャの軍隊でしたが、あまりにも重すぎる装備で動きも鈍重となるため高スピードで撹乱すれば簡単に倒せるのではないかと思っていたのですが、実は彼らはファランクスという8人から16人の密集隊形を守りその単位で動いていくために当時の槍や弓といった兵器では傷つけることができなかったそうです。

これを最終的に壊滅させたのがアレキサンダー大王で騎兵や軽装騎兵を駆使して重装歩兵の軍隊を破ったそうです。

 

古代ギリシャでも軍船が高度に発達し、その三段櫂船という主力軍艦は170人の漕ぎ手により10ノットの速度で相手の軍艦に激突して真っ二つに切り裂いて沈めたそうです。

ただし、その頃はまだ航海術が発達しておらず、また真水を搭載できなかったために陸地から離れて航海することはできなかったとか。

 

兵器や装備、軍隊のシステムなどが大きく異なる軍隊同士が戦う場合に圧倒的な結果となったことが時々ありましたが、14世紀に英仏の百年戦争の中でクレシ―の戦いとポワティエの戦いでそのような事態となりました。

フランス軍はまだ中世以来の重い鎧兜で馬に乗った騎士を中心とした軍隊だったのに対し、イギリス軍は歩兵の長弓部隊で当たりました。

フランス人は長弓と言うものを知らなかったため、圧倒的な結果となり惨敗してしまいました。

 

銃と言う火器の出現は戦争の形を変えただけでなく、社会の構造も変えていきました。

馬や高価な武具を必要とするそれ以前の騎士中心の社会ではそれを担える貴族が戦争でも重要な役割を果たしたのですが、銃を持てば庶民でも強力な兵士となることができるようになりました。

この本ではそこでその動きを阻止しようとした社会勢力として、ヨーロッパの騎士、イスラムマムルーク、そして日本の武士があったと記しています。

そしてそれに成功したのが日本だけだったとも。

ちょうどうまい具合に国内の統一に成功したためにそれ以上に火器の採用をする必要がなくなり、武士の権力を保つことができたという解釈でした。

サムライたちが「自ら銃を捨てた」という考え方は日本人ではなかなか思いつくものではないと感じます。

 

第二次大戦時にソ連に侵攻しようとしたドイツは「バルバロッサ管轄令」を発し、ドイツ軍人が国際法や国際的な道義のすべてと関係を絶つことを定めました。

ドイツ兵がソ連でどのような戦争犯罪を犯しても刑罰を免除するとしたのです。

ここにも戦争の狂気が現れています。

ただし、これを本当に批判できる国があったでしょうか。

アメリカは広島と長崎で原爆を爆発させましたが、それで死んだ数十万人の人の大部分は民間人でした。

 

本書の原著出版は2001年、アメリカで同時多発テロが起きた年です。

もちろんそのテロだけでなく、その後のイラク戦争をはじめ多くの戦争には触れていませんが、もし現在この続編を書くとしてもそこには未来の希望はあまり描かれないということは分かります。

人類と言うものの存在自体が戦争と不可分であるということ、それは間違いないことなのでしょう。

 

 

 

熊本空港新ビル完成

完全なローカルネタですが、熊本空港が旅客ターミナルビルの建て替え工事を進めていたのですが、ようやく完成し報道陣に公開したということです。

kumanichi.com

開業は3月23日予定。

かなり広くなったということで、ローカルテレビニュースでも少し紹介されていました。

 

飛行機利用の際はほとんど熊本空港を利用していましたので、旧ターミナルビルは長い付き合いでした。

調べてみると、昔の健軍飛行場といっていたところから移転して開業したのが1971年(昭和46年)ということです。

私が熊本に来て飛行場を利用し始めたのが1980年頃からですので、まだ開業10年ほどだったのでしょう。

しかしそれから40年以上経過していますので、ビルの老朽化も進んでいました。

 

旧ビルには多くの思い出があったのですが、コロナ禍で出かけることもなくなった間に取り壊されてしまいました。

今後は新しいビルからの出発となるのでしょう。

 

そういえば、福岡空港もいつの間にか旧ビルがなくなってしまったようです。

こちらも金沢勤務の時は帰省時に何度も利用していたのですが、その後は近づいてもいないのでどうなっているのやら。

時の流れは速いようです。