爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢の話「アルコールの品質問題で急遽職場に呼ばれる」

いろいろな仕事をしましたが、中でもアルコールの製造は最初の仕事でもありその後管理職としても携わったということで印象深いものです。

 

夢の中では、私は退職してすぐのようです。

そんな私に職場から手伝いの要請が来ました。

まあ暇なので出かけます。

 

すると発端は甲類焼酎の味がいつもと違うというクレームが来たことからでした。

調べてみると不純物が若干多いようです。

その対応で現職の管理者たちが出払ってしまい、仕方なく退職者にも声をかけたということのようです。

 

不純物の量はさほど驚くほどでもないのですが、放ってもおけないということで、そのロットのアルコールは使用停止、製造設備の対応としては、不純物のカット率を上げてなるべく減らせるようにします。

 

工場内の連絡会議にも出なければならなくなり、そこで異常事態対応の説明をすることになってしまいます。

そんな細かいことまでは聞いていなかったので、焦りますが何とか切り抜けます。

 

それでは夢と現実の話へ。

もう40年以上も前に会社に入って最初の仕事がアルコール製造の現場でした。

発酵・蒸留・廃液処理など一通りやりました。

その後20年ほどたって今度は管理職としてその職場へ。

大した業績も上げられないままでしたが数年いました。

小さな会社でしたがその中では一番大きな機械を動かす部署で、けっこうはらはらドキドキのことが多かったところです。

なお、もちろん現場の精鋭たちは十分な力量を持っており、多少の問題があっても退職者の力を借りるなどと言うことはあるはずもありません。

 

アルコールの品質というのも大きな問題でしたが、これは同業他社と比べても決して劣ることはない程度のものが作れていたと思います。

 

こんな夢を見たのも、昔の本ですが「廃糖蜜由来の中性アルコール」をことさら悪いものかのように貶めるものを読んでしまったので、それに対する反発もあったのかもしれません。

 

やはり老人の人生の知恵は現代でも有効であることを確認、産経新聞の暴論を見て。

産経新聞の記事を見て、思わず頭に血が上りました。

www.sankei.com

高市の実行力とやらに国民は期待を持っており、「文句を言っているのは70歳以上と新聞だけ」だそうです。

あまりのひどさにすぐには何も書く気もしませんでした。

 

しかしこの記事を見て一晩たったら、別の事に思い当たりました。

「70歳以上」つまり老人の知恵というものは現代社会でも無視できないものなのではないか。

それをこの暴論記事は見事に言い当てているのではないか(もちろん書いた本人の気が付かないところで)ということです。

 

古来、人間の共同体においては運よく長生きできた人は長老として尊重されてきました。

その人物の長年の経験が共同体の共有財産として有用だったからです。

 

それが近代から現代に至り社会の変化が激しくなると老人の人生経験など役に立たないものかのように思われるようになってしまいました。

 

しかしそうではないということが、この記事の書いた本人も思わぬところで現れました。

全ての方面ではないにしても、社会の大きなところで「年寄りの知恵」というものが有効なのではないか。

それが「70歳以上は反対」という現象としてはっきりと示されているのではないか。

 

そういった「年寄りの知恵」というのは、ほとんどが失敗体験と他人の失敗の知識(人の振り見て我が振り直せ)でしょう。

成功体験などと言うものはあまり参考にはなりません。

失敗体験というものは確かに書物や文書など「書かれたこと」によっても伝えられることはあります。

しかし、実際に自分が経験したことというのは、それが人生に重大であればあるほど、その時点で真剣に考え対処しようとしたものであり、その皮膚体験ともいえる感覚はとても書物では伝えられないものです。

そしてその失敗をまた繰り返そうとする若者たちを見ていて何か言わずにはいられないというのがまさに「年寄りの知恵」というものでしょう。

 

高市の政策など、失敗の実例がいくらでも出てきそうなもので、それに期待を寄せる若者たちの愚かさによる失敗というものも、自分たちの経験も含め多くの実例を知っています。

冒頭記事のように「反対するのは70歳以上」だというのもその事態が深刻であることを意味するということです。

 

それにしても、この記事のひどさというのには言葉を失うほどのものです。

産経新聞は安倍政権の頃から政権べったりの姿勢を隠そうともしていませんでしたが、その亜流(しかも改悪品)の高市政権になっても政権応援を続けるのでしょうか。

 

 

熊本地震で断層が地表に現れる瞬間を映した映像があった。

熊本地震では断層が地表に現れている場所があちこちにありますが、その一か所が現れる瞬間を映した映像が残っていたということです。

news.yahoo.co.jp

私もこの元の映像で実際に動いているところを見ましたが、あっという間に大きな段差ができるところが映されていました。

 

これまではこういったものが撮影されたことは1例しかなく、非常に貴重なもののようです。

段差のできた後の調査は可能ですが、動いたその瞬間を見ればその速度などもはっきりと分かるのでしょう。

 

カメラが安くなりどこにでも監視カメラなどが設置されるようになりました。

事故などの瞬間を撮影したものなどがテレビ番組に溢れていますが、こういったものが撮影されるというのは嬉しい副作用とでも言うのでしょうか。

他にも火球や流星の流れる瞬間、ミサイルの落下など、カメラが溢れている現在ならではのものがたくさん撮影されています。

まあ良いような悪いような複雑な状況でしょう。

 

どうしても戦争は終わったように見せたいトランプだが不可能

ミサイルや弾薬は十分にあると口では言っていますが、行動を見れば何とかそれを揃えることができたら集中攻撃、無くなったらしばらく休戦という非常に分かりやすく、みっともないことをしているトランプですが、なんと「ホルムズ海峡をアメリカ領にする」などということを言いだしました。

www.nikkei.com

かなり以前からもう正常な判断ができなくなっているように見えましたが、これはあのグリーンランド領有の発言よりさらにひどいものでしょう。

なにしろ相手とは戦争状態にあるわけですから。

イランがさらに硬化して攻撃再開というのも目に見えるようです。

 

すでにアメリカ国内や西側諸国からもアメリカの兵器供給が厳しくなってきたということが言われるようになりました。

すでにミサイルが枯渇状態だと言われていますが、さらに無人機のリーバーというのも多くの損失を出しているということです。

www.yomiuri.co.jp

さらに下のForbesの記事はミサイルの戦争前の数と現存数まで出し、その製造状況も解説しています。

news.yahoo.co.jpそれによれば開戦前に2300発のパトリオットを配備していたものがすでに1000発を割り込んでいます。

他の長射程精密ミサイルもほぼ使い果たしたとしています。

こういったミサイルを緊急で製造するようにメーカーに発注しているのですが、ロッキードなどの元請け会社だけで作れるわけではなく多くの部品を下請けに作らせるのですが、それがすでに製造能力を越えているようです。

 

このような状況でイランを挑発してどうなるのか。

防御ミサイルが枯渇してくればイランからの攻撃を防ぐことができず、中東にある米軍基地やアメリカ友好国に対する攻撃が功を奏する可能性が強くなります。

 

もはや出口のない袋小路に入り込んでしまったかのようです。

おそらくさらに見苦しい行動をトランプが取るのを見ることになりそうです。

 

 

追加)16日14時現在、「この発言は冗談だとホワイトハウス高官が発表」というニュースが流れています。

冗談で済ませられるような問題ではないでしょうし、さすがのトランプもこれを冗談で言ったとは思えません。

やはり相当意識がおかしくなっているのでしょう。

40年ぶりの円安水準、その前はどうだったのか、年寄りの思い出話

1ドル160円以上という円安になり、40年ぶりの水準と言われました。

40年といえばちょうど我が家も子どもが生まれ子育てで大変だった時期です。

その頃の感覚というものがいかに現在と違ったものだったのか、忘れかけていたものが蘇ります。

 

私は1954年(昭和29年)生まれですので、生まれた当時はまだ戦後復興の最中、そして子供時代がちょうど高度成長期に重なります。

そして少年期から青年期に入る頃にオイルショックがあり、経済成長も様変わり。

世の中の具合もどんどんと変化していく中で、大学に入り卒業、就職といった自分にとっても大変化になんとか対応していくこととなりました。

 

1ドル360円という固定相場が終わったのが1971年だそうです。

ちょうど私が高校2年の時です。

その頃はまだ海外旅行などほとんど夢の話。

父親が会社の関係で得意先を海外旅行に招待し、その世話係としてついていったのがその寸前の話でした。

親族集まって壮行会といった雰囲気の中のことです。

 

当時はまだ輸入品は高価なもので、舶来品と言われて珍重されていました。

それにくらべて安かろう悪かろうの国産品で済ませているのが一般大衆でした。

 

その後徐々に円高方向に動き出すのですが、それが一気に変わったのが1985年のプラザ合意によるものでした。

これがちょうど長男が生まれた年。

そしてその時の円相場は1ドル240円、それが1年後には150円、2年後には120円と円が急騰していくこととなります。

世間はそれによってバブル状態となり大混乱が始まるのですが、子育てに一所懸命な我が家はそのような風潮に乗り切れるわけでもなく、地道な生活を続けるのみでした。

 

ただ驚いたのがそれまでは高嶺の花だった輸入ウイスキーやワインを安売りするようになったことです。

それでようやく、それまで聞いていた「こんなもの向こうじゃ安物だよ」という言葉の意味が分かりました。

そして、その後次々と普通に買っていた食品(肉、魚、野菜などまで)が外国産となり、しかもそれまでよりかなり安く買えるようになりました。

さらに日用品や衣類まで、見てみると海外産だが国産より格安となっていきます。

今思えば、それが円高効果だったということでしょう。

 

その後もそういった状況を上手く使った企業が業績を伸ばしていきます。

製造はだいたい中国や東南アジア、それでいて値段は安いというものばかりとなります。

それで日本の製造業はどんどんと辞めていき、生き残ろうとするなら工場海外移転といったことが普通となりました。

 

アメリカの製造業が皆海外移転して国内壊滅、労働者は失業ということになり、それを取り戻そうというのがトランプの支持者獲得戦術ですが、日本も全く同様でした。

 

それが急激でしかも大幅な円安となるとどうなるか。

もはや40年前の日本社会に戻れば良いなどとは言えません。

農業も工業もその生産体制は崩れ去っており、今さらもとに戻そうと言っても不可能です。(これはアメリカと同様です)

そうなれば、円安で割高になったといってもこれまで通り海外産の品物を買うしかなくなります。

しかも円安で潤うはずの輸出産業なるものももはや国内には数少なく、収入も上がりません。

 

まあ円安政策を繰り広げた安倍晋三、それを受け継いだ高市といった政治家たちの失策の責任も非常に重いのですが、それ以前に日本の経済体制のためだということでしょう。

しかもこれから未曽有の国難、天災、人災が次から次と襲ってきます。

さらに円安が進みかつての360円も飛び越えるような事態になるかもしれません。

 

1年間肉を食べなければどうなるか。実験スタートだそうです。

イギリスのレスター大学の研究者が、菜食を推進する財団の支援を受けてこれまで肉をたくさん食べてきて健康に不安のある人が肉食を止めたらどうなるかという大規模な研究を行うという話です。

 

畝山智香子さんの「野良猫通信」に紹介されていたものです。

 

www.eurekalert.org

これまで週5回以上肉を食べていて、現在肥満あるいは過体重である18歳から50歳までの人450人を募集し、1年間まったく肉を食べないベジタリアン食、またはビーガン食を食べ、その影響を見るのだとか。

 

これには菜食を推進する団体だという、チェララム財団というところが195万ポンドの資金を提供し支援するそうです。

 

参加者は食事代の補助を受けるほか、栄養指導や健康調査も受けられるのだとか。

 

畝山さんの感想が最後に書かれています。

目的は明確で学術的価値はあまりなさそう。参加者集まるかな?集まっても最後まで従えるかな?は疑問。問題は現在の学術文献がこの手の利益相反に脆弱なこと

 

多少の食事代補助では続けるには弱いような。

 

畝山さんの感想の最後の部分「利益相反に脆弱」というのが少し意味が捉えにくいのですが、ボランティア参加者に対する利益供与ということなのでしょうか。

そうだとすれば巨額の資金を出して参加者を集めれば思うようなデータを得られるということも可能だというのでしょうか。

そういったことは、通常の研究者には手が出せないことかもしれません。

 

「管仲 下」宮城谷昌光著

中国春秋時代の高名な宰相、管仲の生涯を描く宮城谷さんの物語、下巻です。

 

斉の国も乱れ、管仲の仕える公子糾と鮑叔の仕える公子小白が公位を争うこととなります。

大国の魯の後ろ盾のある公子糾は楽観視し魯の軍隊と共に悠々と進軍してきますが、それの無い公子小白はただ急ぎに急ぎ首都の臨淄に入ろうとします。

それを恐れた管仲はわずかな手勢を急がせて公子小白を待ち伏せし自ら弓矢をとって小白を射て命中させます。小白は倒れて動かず、その後温車(霊柩車)に乗せられるところまで確認した管仲は公子糾のもとにもどります。

しかし実際には命を取り留めていた小白は急いで臨淄に入り、大貴族の高氏、国氏を味方につけて斉公に即位してしまいます。

 

後れを取った公子糾は魯の軍からも見放され、捕らえられて殺されますが、その臣管仲は斉側からこちらで処刑するので引き渡せと申し入れがあり、生きたまま渡されます。

しかしこれは管仲を公子小白に仕えさせようという鮑叔の計略であり、うまく管仲を生きたまま戻させることができ、公子小白、斉の桓公の宰相とすることができました。

 

その後は斉の国力を増強させ、兵力も備え、中国の中心部、中原の諸国を従える覇者となった桓公を支え続けます。

 

こういった管仲の生涯を描いたこの本ですが、あとがきによれば中国春秋時代の人物を扱った物語の中でも、これが一番最後になってしまったのも管仲の生涯というものがほとんど分からないものだったためということです。

史記や春秋などの歴史書には確かに管仲という記述はあるものの、その実像はほとんど明らかにならず断片的なものです。

若い頃に鮑叔と管鮑の交わりという友情を結んだといっても、それがどこでの話か、何歳ころのことかも全く分かりません。

さらに、クライマックスともいえる斉公の位を公子小白と公子糾が争い、管仲が小白を弓で射るという場面も、史書によって状況が異なり、小白が臨淄に急ぐ時とするものもあれば、既に斉公の座を得て後に斉軍と魯の後ろ盾を得た公子糾の軍との戦の折とするものもあります。

そもそも管仲の年齢、生年というものが全く記述がなく、それをいつに置くかによって事件の時の年齢が変わってきてしまいます。

そういった難しい点もあったため、春秋の時代の人物伝記物語の中では最後になってしまったということです。

 

そういったせいもあるのでしょうか、もう書くと決めたら迷いなく、事実と創造を交えながら書き進められたようです。