爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「地名の社会学」今尾恵介著

著者の今尾さんは専門の研究者ではないようですが、地名や地理・鉄道などに関する著書を多数執筆されている作家の方です。しかし、地名というものについては非常に詳しい検討をされており、知識も多い方とお見受けしました。

 

本書は地名というものについて、その成立の歴史から現代の状況まで詳しく解説されています。

しかし、もっとも著者の言いたかったことはやはり最終章の第6章に書かれている「地名崩壊の時代を迎えて」というところでしょう。

平成の大合併で多くの自治体が新たな名称を付けたのですが、それはほんの一部の役所の公務員やその選んだ選定委員なる人々の思いつきによるものに過ぎず、不適当なものが多すぎるようです。

 

また、古い町でも住居表示というものに移行することで歴史的な町名などがどんどんと失われていきました。

郊外でも宅地化などにより歴史とはまったく関係のない「なんとか台」といった名称が広まってしまいました。

 

市町村合併に際しては、「合併協議会」という機構が設けられ、新自治体の名称もそこで決定されます。

しかし、そのメンバーは地名や地理歴史の専門家などは含まれていないことが多く、通常はほとんど地名のことなど意識していないメンバーが多数決で名称も決定することが多くなっています。

この結果、自治体名称としてはまったく不適切な事例が多数発生しています。

中央の指導が強すぎるのも問題ですが、ここは是非総務省などがガイドラインといったものを示すべきだろうというのが著者の主張です。

著者の提案では、1必ず歴史的な地名を選ぶ。 2中心都市の名称を選ぶ。 3地名の本来の守備範囲を維持する。 4安易に仮名を使わない。 5安易に東西南北、中央といった文字を使わない。ということです。

 

歴史的なものではない地名というのは、実は明治22年からの大合併、昭和28年からの昭和の大合併の時代に多く作られました。

それは、瑞祥名、造語、合成名といったもので、千葉の津田沼(谷津・久々田・鷺沼から一字ずつ)、福岡県行橋(行事と大橋から)、長野県の栄村(そのものズバリの瑞祥名)、浦安(浦々の安泰を祈願して)といった、すでに定着したような地名もこれだったようです。

 

地名の本来の守備範囲逸脱という例では、岩手県奥州市江差・水沢等が合併、奥州といえば陸奥国でありはるかに広い範囲を指す)、鹿児島県南九州市知覧町などが合併して誕生、南九州と言えば鹿児島・宮崎全体を指す)、岡山県瀬戸内市邑久郡の3町が合併、瀬戸内は瀬戸内海全体を指す)など今回の平成大合併で多数誕生しています。

著者の意見では、自治体の名称として「市」を付けて限定しないと誤解をするようなものは不適当だということです。

すなわち、前の例で言えば「奥州市」と「奥州」、「南九州市」と「南九州」、「瀬戸内市」と「瀬戸内」ではそれぞれその指す範囲がまったく異なり、いずれも「市」を取った方が広い範囲を示しています。これは自治体名称としては不適切でしょう。

 

東西南北、中央等は市の名称として全国に同じものがあってはいけないというところから北広島や東久留米という例もありますが、「豊中」もその一つであったというのは意外でした。

なお、「四国中央市」はあまりにひどいのではと書かれています。

 

また、市町村名に平仮名・カタカナを入れるというのも増加しており、これには合併時の各自治体の関係というのも影響しているようです。

漢字そのままではその中心の市に吸収されたように見えるからというのが理由のようです。

しかし、その結果見ただけではわからないようなおかしな状況になってきています。

「いつも見たいなべ市の夕日」「丸亀市からまんのう町への道」ではなんのことかすぐにはわかりません。

 

他にいろいろな話題の中から、

 

字(あざ)という区分は江戸時代から使われてきたのですが、明治になって全国的に地租改正のために地番をつけることになって、それが大小まちまちだったために、大体の大きさや形をそろえるという指導がされました。

そのために統合した場合はその中の代表的な地名を残したりしたのですが、分割した場合にいい加減に名称をつけ、例えば「甲乙丙」としたり「番号」を順番につけたりしたところもあったそうです。

 

住居表示への変更などで旧地名が消えてしまっても、バスの停留所名に残っている場合がけっこう多いということです。

例として東京江戸川区の臨海部のものが挙げられていますが、住所ではほとんど「葛西」になってしまったところでも、旧地名の「宇喜田」とか「六軒町」「棒茅場」といったものが残っています。

 

駅名の付け方という話が出てくると、実際の所在地とは異なる名称を付けているのはどうかという問題が取り上げられます。

例えば、品川駅は港区にあるとか、目黒駅は品川区にあるとかいった話ですが、本書によれば駅というものはその地域を代表するものである以上、どこに行く人がその駅を利用するかということを考えればこのような例は当然のこととなるわけです。

もっと広い例で言えば、新幹線の駅は例えば港北区篠原町にあっても「篠原駅」とされたのでは大迷惑でやはり「新横浜駅」であるべきだし、「川成町駅」ではどこだかわからないので「新富士駅」としなければなりません。

それと同様に、品川駅に行く人は当時は品川の町に行く用事があるのでそこに降りるのであって、いくら高輪に所在していても「高輪駅」とされては困っただろうということです。

 

あとがきにあるように、著者はご自分の住む東京都日野市の新町名の付け方があまりにもおかしいので、町名地番審議委員というものに立候補して就任したそうです。

とはいえ、それは「一般市民枠」の一人としてのものであり、他には「学識経験者」というメンバーも顔を揃えていました。

しかし、彼らはどのような「学識」を持っていたのか、その経歴をみればおそらく「数学」や「音楽」の学識に過ぎず、地名や歴史などの学識はまったくもっていないことが明白でした。

そして、その審議の中では著者が歴史的な地名の保存ということを訴えても何の反響もなく、結局は無視されて自治体側の思う通りの新地名の採用ということが決議されたということです。

地名は歴史そのものという原則をまったく考えもしない行政や多くの住民の意向で、歴史的地名はどんどんと失われていきます。

 

地名の社会学 (角川選書)

地名の社会学 (角川選書)