爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「富士山噴火の歴史 万葉集から現代まで」都司嘉宣著

著者は元東大地震研の研究者で、津波がご専門ということですので、テレビでもお顔は拝見したことがあります。

そのかたわら、古い時代の地震や火山噴火の記録も古文書の中から拾い上げるということをなさっており、本書はその富士山噴火に関するものを詳細にまとめたものです。

 

富士山は現在ではほとんど活動を休止しているというイメージが強いものですが、歴史時代に入ってからも数回の大きな噴火を起こしており、また数々の文書には噴煙を上げているという記述が多くほとんどの時代で活発な活火山であったといえます。

他の火山と異なり日本一の名山という位置は古代から変わらず、周辺の住人だけでなく旅行者や離れた都に住む人々もその山容を文書に書いたり、詩歌に読んだりということが行われてきました。

それを詳細に検討していくと、どうやら富士山の活動の活発さというものが見えてくるようです。

 

ここで問題になるのは、例えば和歌に「富士のように燃え上がる」と詠んであっても、それは単なる決まりきったイメージを使っているだけではないかという恐れがありますが、著者の検討によれば同時代の資料を突き合わせて考えていくとその時々の富士の状態というのはかなり正確に各地に伝わっており、盛んに噴煙をあげ火柱まで見えている時には必ずそういった歌が詠まれているそうです。

 また、噴煙が無かったということを積極的に記してあるものもあり、それは常識だったものが無いというニュアンスで取り上げられているために、噴煙のない時期というものの特定にもつながるということです。

このような噴煙の有無をまとめてみると、決して空想で噴煙を描いたなどということは当時の人々はしなかったということが改めて確認できるということです。

 

万葉集に載せられた富士の噴煙を語る歌の時期から考えて、8世紀初頭には噴煙が上がっていたものの、その後途絶えていた時期があったことがわかります。

しかし、その後826年に在原業平の記述により再び噴煙が上がっていることが確認されるとずっと活動期が続き、864年貞観の噴火につながります。

 

貞観の噴火では頂上からではなく側火山から溶岩が流出し、山麓の広い範囲にまで流れて多くの死者を出しました。

現在の青木ヶ原樹海というものはその溶岩の噴出の上にできているものです。

これについては、駿河、甲斐の両国の国司の報告書が残っており被害状況はわかるのですが、噴火そのものの記述は詳しくはないそうです。

 

その後の平安時代では鎮静期、活動期が交互にやってきています。

しかし、鎌倉時代の1260年にはぴたりと噴煙が止まったことが飛鳥井雅有や阿仏尼の紀行文で確認できます。

そして1331年には大きな地震も起きたのですが、主要な歴史文書には記載がないために認知されていませんでした。しかし、著者の史料探索により静岡市の感応寺という寺にそれを伝える文書が残っていたそうです。

 

南北朝時代の末には噴煙が再び上がるようになりました。

室町時代まで通じてこの時期には活発な噴煙が上がっていたようです。

しかし、1485年頃には一時的に噴煙が止まりました。

そこで起きたのが1498年の明応東海地震です。

震度6以上と推定される地域が甲府盆地から静岡県、三重県和歌山県にまで及び、さらに巨大な津波も発生して多くの人が犠牲になりました。

 

江戸時代に入り、1707年10月にはM7.4の宝永地震が起きます。震度が6から7にまで達したと見られる地域は静岡県清水市から西は高知県にまで及んでいたという巨大地震でした。

そしてそのわずか49日後には富士山の宝永噴火が始まります。

その2週間ほど前から、富士山麓では地響きが鳴り、絶え間なく地震が続いていました。

11月23日には大きな地震が起き、それに続いて貞観噴火の北面とは逆の南面から噴煙と大量の火山灰が噴出し始めます。

高熱の火山弾などで大きな火災が頻発し多くの村が焼失してしまいます。

火山灰は東側に大量に積もり、小山町で4m,御殿場で1m、小田原で90cm、秦野で60cm,江戸でも15cmに及びました。

 

富士山の噴火史というものを考えてみると、西暦700年以降半分以上の時期では噴煙が上がっています。

現代はすでに遠方から噴煙が確認できなくなって300年が経過していますが、このように長い間噴煙が見えないというのは、実は富士山の噴火史では異常とも言える状況なのです。

 

富士山はその成立も非常に新しいといえる火山であり、まだまだ活動はこれからも活発になる時期がくるのは確実のようです。

噴火があれば山麓は大きな被害が出るでしょうし、風向きも大抵の時期には東京に向きますので火山灰の被害も大きいでしょう。

いつあってもおかしくない天災に備えるべきでしょう。

 

 

富士山噴火の歴史: 万葉集から現代まで

富士山噴火の歴史: 万葉集から現代まで