NHKの人気番組ブラタモリ、今回は北九州市を訪れて北九州市合併の秘密を解き明かしました。
ブラタモリはタモリさんが全国各地を訪れその地の知られざる部分を解き明かすというもので、なかなか気づきにくいことを次々と見せてくれます。
今回のお題の「北九州市合併」とは60年前に当時の北九州5市(門司・小倉・戸畑・若松・八幡)が「対等合併」を果たして北九州市となることができたのはなぜかということを扱っていました。
最近でも市町村合併でささいなことから話が壊れたという話題がしょっちゅう目につきますが、当時でもさほど規模や内実にも差のなかった5市がなぜ穏便(でもなかったようですが)に合併できたのか。
考えてみれば不思議とも言えます。
そもそも5市といっても門司・小倉は豊前の国、戸畑・若松・八幡は筑前の国、藩政時代にはさほど仲の良かったとは言えない国でした。
さらに門司は海運、小倉は藩の城下町、戸畑は工業都市、若松は石炭の積出港、八幡は製鉄所の町とその町の成り立ちや性格にも大きな違いがあります。
その謎が最後に示されたのですが、明治終わりには早くも路面電車が門司から八幡にかけて開通し、さらにその送電線から各地の工場への電力供給ということが行われるようになったそうです。
つまり「北九州工業地帯」が先に成立してしまった。
そうなると各都市で様々な行政サービスに差があることが障害となってきました。
そのために行政同士の思惑を越えて企業や市民の間で一緒になった方がよいという雰囲気が先行したようです。
それで合併が成立したのが昭和38年(1963年)、今から60年前のことでした。
私が父親の仕事の関係で小学生の頃に福岡に3年だけ住んでいましたが、それがちょうど合併時にあたりました。
詳しくは分かりませんでしたが、そういった話が出ていたことは覚えがあります。
家族の旅行で門司・下関や若戸大橋(開通直後)にも行ったことがあり、身近な話でした。
なお、番組の中で興味深かったのが八幡製鉄所開設にまつわる話で、官営製鉄所を作ろうということになって候補地がいくつか出されましたが、最後に残ったのが八幡か門司か。
しかし八幡はその前の洞海湾が当時は干潟を含む浅瀬で船の便が悪く選定は門司有利に傾きました。
ところがそこで焦ったのが当時の筑前側の要人たちで、製鉄所を門司、つまり豊前側に持っていかせてなるものかと強力に関係者に働きかけ、最後で逆転して八幡に決めさせたそうです。
どこでもいつでもあるような話ですが、これが違っていたらあの地域の光景もまったく違ったものだったのでしょう。
今回も非常に面白く、ためになる話を聞かせてくれました。