爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「宇土半島私記」久野啓介著

著者の久野さんは専門の著述業ではないのですが、熊本の地元新聞の熊本日日新聞に長く勤め最後は常務まで昇進され、退職後は熊本近代文学館長なども歴任されたという方です。

熊本市に産まれたものの家庭の事情で母上の出身地である宇土に幼児の頃に転居、その後そこで育ったということです。

 

その宇土町(現宇土市)があるのが宇土半島なのですが、その周辺についていろいろと随想を書いたものです。

なお、冒頭の「夢地図」のみ2013年の発表ですが、他の文章は1970年代、著者が40代の頃に書かれたものです。

 

熊本にもいくつか大きな町がありますが、宇土というところは少し雰囲気の変わったところかもしれません。

熊本市は加藤氏の後細川氏が入城して肥後細川藩の城下町として栄えたのですが、宇土は加藤氏の肥後入りと同時に肥後南部を領有した小西行長によって城が築かれ、わずかの期間ですがその城下町として栄えました。

しかし行長が関ヶ原の戦いで敗れ斬首された後は加藤藩のち細川藩に領有されることとなり、宇土城も壊されてしまいました。

一方、その南の八代は細川藩の世となっても南の島津藩に対する押さえとして特例で城を築くことが許され、細川藩の家老松井氏が長く治めたため、熊本・宇土とも少し雰囲気の違う町となっています。

熊本から宇土・八代とわずかな距離で南北に並んでいるのですが、それぞれの歴史を反映して現在の町が形作られているということでしょう。

 

本書の随想はどれも宇土半島周辺の町の風景や歴史、昔話などをちりばめながら、著者自身や家族などの生涯にも触れつつ書かれており、「ふるさと」「地元」というものを十分に知っている人間が書いていくとこうなるのかという、色合いの濃いものとなっています。

 

冒頭の「夢地図」という文章は、久野さん一家がなぜ熊本を離れて母親の実家を頼り転居していったかということを、著者の現在の体調を絡めながら描写していきます。

著者はパーキンソン病を発病したとのことで、その進行と闘いながらの闘病生活となっています。

意識的に散歩して筋肉の劣化を防がねばならないが、それで転んだりして怪我をする危険性も多いという、厳しい状況です。

その現在から幼児期の一家の状況を振り返ってみるとどう映るのか。

もちろんその当時はまだ幼児であった著者には本当の両親や家族の事情は分かっていなかったことも多いのですが、それも徐々に親戚に尋ねることで確かめていきます。

 

他の文章にもあるように、江戸時代の雲仙噴火の際に眉山が崩れたことによる大津波で肥後にも大きな被害が出たということは有名ですが、宇土でも多数の死者が出たということです。

その遺体を埋めたというところもあちこちにあるとか。

宇土半島北岸から眺める雲仙岳は見事な風景ですが、そこから海を渡りあっという間に波が押し寄せた(その高さは10m以上だったとか)ということが、あらためてありありと実感できました。

 

私の現在住む八代市とはすぐそばで、隣町とも言えるような宇土市ですが、その詳しいことは何も知りませんでした。

車や電車で通り過ぎるだけということが多いのですが、その雰囲気の奥にあるものが少し分かったような気がします。