食事の際の道具として「箸」というものを使うのは東アジアの周辺のようです。
最近は中国料理や日本料理の世界的な広がりで各地で箸を使える人々が増えてはいるようですが、基本的にはその地域の習慣ということでしょう。
こういった箸というものについて、その歴史的、文化的、そして一番大事な食品との関係などを深く広く考察したものです。
日本の箸の研究者、一色八郎によれば世界の食事方法は、1,箸文化圏、2,手食派、そして3,フォーク・ナイフ派に分けられるということです。
箸文化圏は元来は中国を中心に朝鮮半島、日本、ベトナムだったのですが、最近では徐々に広がっているようです。
箸がいつから使われたのか。
中国の新石器時代の遺跡からは、最古で紀元前5000年前の動物の骨が加工された箸が出土しています。
ただし、これが食事の際に使われた道具なのか、それとも調理道具として使われたのかは分かりません。
元々は手で直接食べる手食だったのでしょうが、商の時代(殷)にはすでに青銅器製の鼎が使われており、そこで調理された煮えたぎった食べ物は手では食べられませんので、少なくとも匙は使われていたと思います。
その後、紀元前4世紀の記録によれば食事の際に箸を使うという風習が広まっていたことが分かります。
このように匙が先行した食事道具ですが、それが箸優先に変わっていったのは食べる食物の変化があったためのようです。
中国北部ではもともとアワ・ヒエなどのミレット類をよく食べていました。
これらの穀物は汁気の多い粥状に調理されるため、匙で食べる方が向いていたようです。
しかし南部に始まったコメの食用が徐々に北部にも広がると粘度の高い炊いたコメのご飯は箸の方が食べやすいという事情があったようです。
また、小麦の食用も広がり、その加工法として麺、餃子、薄餅などが広がってくると、これも匙よりは箸の方が食べやすいということになりました。
こういった変化は漢の時代から徐々に起きてきたようです。
中国周辺各国も箸というものが中国から伝来するとそれに合わせて食事の様子も変わっていくということになりました。
ベトナムは中国の秦漢時代以降には多く人々が中国からやってきて、その文化も伝わり箸使用の食文化も取り入れることになりました。
日本では陳寿の三国志に「手で口に運ぶ」という記述があるように、古くは手食だったものが中国との交流が増えると箸文化も輸入されました。
小野妹子が日本に持ち帰ったという伝説もあるようです。
8世紀には日本国内に広く箸使用が広まったとされています。
日本とベトナムでは伝統的にはほとんど箸だけを使うのに対し、朝鮮半島では箸と匙が併用されるという文化が特徴的です。
こういった様相は中国北部に類似しており、そちらからの影響が強かったということが大きかったようです。
なお、日本とベトナムは魚を食べる比率が高く肉類はほとんど食べなかったのに対し、朝鮮では肉類消費が非常に多いということも関係しており、歴史的に北方民族の影響が強かったことがその特徴を作り出したようです。
箸の使い方というところから、これら各国の食習慣、食事の時の礼儀作法といったところにも考察が入っています。
中国では同じ皿から料理を取って食べる「合食」という習慣が長く続き、それが会食時の礼儀ともなっており、それをしなければ雰囲気を損なうことになってしまいました。
しかし徐々に衛生観念が発達してくるとこれが問題となってきます。
日本では古くから「取り箸」を別に用意するということが行われてきましたが、さすがに中国でも徐々にこれをやらざるを得なくなり、あのニクソン訪中の時の晩餐会でもそういった方式で行うことで妥協が成立したそうです。
著者のワンさんは上海生まれでアメリカなどで大学教授を務めている方ですが、各国の歴史や食事情について非常に詳しく調査されているようです。
日本の食卓のエチケットについても、日本人よりよくご存じのようです。
箸の使い方がこの年になっても怪しい私から見ると、尊敬に値します。