以上のように、「サステナブル」(持続可能性)とはそれほど簡単なものではなく、厳しいものだということは何となく分かっていただけたでしょうか。
SDGs「Sustainable Development Goals」などと言って、どう見ても「ちょっと良いことしています」程度のものがサステナブルなどと考えていると大きな勘違いになります。
その中でも一番厳しく考えるべきものが「エネルギーの過剰使用」です。
現在の地球には過去数億年もかけて貯蔵された化石燃料というものがあり、このいとも簡単に採掘精製ができ、エネルギー密度も非常に高く、また多種の有機化合物の合成資源にもなるという、極めて使いやすいものが存在したために、「エネルギー依存文明」と呼ぶべき状態になってしまいました。
しかし、この化石燃料は存在量が限られているという大きな問題点があります。
それを使い果たしてしまうということの危険性は繰り返し指摘されているにも関わらず「まだ大丈夫」という気休めで思考停止してしまい使い続けているのがこれまででした。
その使用で二酸化炭素が大気中に放出され温暖化が進むということが指摘されて初めて危険性が少しだけ考えられるようになってきましたが、まだ真剣に取り組もうということにはなっていません。
化石燃料使用は、その資源量から見ても反応後に二酸化炭素やその他の廃棄物を放出することから見ても、まったくサステナブルではありません。
使い続ければそれだけカタストロフィーが近づくと言うことです。
化石燃料使用を止めると言っても、いわゆる「再生可能エネルギー」もその裏まで見なければいけません。
太陽光発電にしても風力発電にしても、その裏に「隠れ化石燃料使用」が多すぎます。
原料となる鉄などの金属、シリコン、その他の資源の採掘から輸送、精製、製造まで、現状ではほとんどのところで石油や石炭などの化石燃料を使わなければ操業できません。
それらを本当に「再生可能エネルギーだけの使用」で実施できるかどうか。
電動トラクター、電動ショベルカー、電動ダンプカーで鉱石採掘し、電動トラックで輸送し、電動製鉄所などの製造工場で製造し、・・・もう考えるだけでもダメということが分かりそうなものです。
これらを解決するためにはどうすれば良いのか。
エネルギー使用量を劇的に減らすしかないのです。
小規模風力発電、水力発電などで得られる程度のエネルギーだけで運営できる規模の社会にすれば当分の間の持続は可能となるでしょう。
そこで何ができるか、かなり現在とは違った社会となるでしょうが、それしか生き残る道は無いと知るべきです。
(一応終わり、だけどまたしつこく続けるかも)