爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「おにぎりの文化史」横浜市歴史博物館監修

米離れなどと言われていても、おにぎりの販売数はかなりの数に上っています。

現代日本でも重要な食形態であるおにぎりですが、その歴史についても考えていくと色々とありそうです。

 

横浜市歴史博物館では2014年に企画展「大おにぎり展 出土資料からみた穀物の歴史」を開催したそうです。

植物考古学という分野が最近では非常に進展していますが、その成果も含めての展示でした。

本書はその展示内容にさらに書き下ろしを加えて再構成したものということです。

 

おにぎりがいつ頃から作られ、食べられていたのか。

その証拠はあまり残っていません。

絵巻物や挿絵におにぎりらしいものが描かれていることもありますが、詳細に描かれていることはなく、はっきりとしません。

城跡や住居跡から焼け焦げた米の塊が出ることもありますが、これもおにぎりとして食べた証拠なのか、それとも偶然固まったものかも判然としないことが多いようです。

 

その話に進む前に、「おにぎりの最新形態」や「”おのぎり”なのか”おむすび”なのか」といった話題から入ります。

今ではコンビニの商品の中でもかなり多い売れ行きを示すおにぎりですが、かつてはほとんど商品化されておらず、寿司のように晴れがましいものでもなく、家庭内で作られ食べられていたというものであり、まともな記録や統計といったものもありません。

「おにぎり」か「おむすび」か、「三角」か「丸」かという点も、きちんと調べられた例も少ないようです。

そんな中でも1980年代に何と呼ばれていたかという統計が作られていますが、地域差は若干あるもののどの地域でも「おにぎり」「おむすび」双方が使われていたようです。

しかし2003年に調査した結果では中国地方で若干おむすび派が残っているものの、ほぼ全国的に「おにぎり」が圧倒していました。

 

歴史的に見ていくと江戸時代には作られていたのは間違いなさそうです。

あまりにも日常的であったため絵や文章にはなかなか残っていなかったとはいえ、あちこちにその痕跡が残っています。

しかし室町時代以前にはほとんどその文献も見当たりません。

わずかにところどころに「とんじき」や「いい」と言ったものが出てきますが、これが現在的な意味でおにぎりかどうかということは分かりません。

 

考古学的な史料ではどうか。

米のような植物は土壌中ではほとんど残りません。

しかし、特殊な条件で残っていることが分かってきました。

低湿地で水漬けのような形で保存されている遺跡が発掘されると、そこでは酸素が遮断されているため真空パックのような形で残っていることがあります。

また何らかの条件で炭化してしまい保存されることもあります。

実はこのように炭化した穀物遺物の例は結構多く、中には米が塊状になっているものもあります。

これは「おにぎり」の遺物なのでしょうか。

実際には未調理のコメが俵などに詰められたまま火災にあい、蒸し焼きにされて固まったということも多いようで、戦争で火をかけられたという事態で残った可能性もあり、現在のような意味でのおにぎりの証拠と見なすことができない場合も多いようです。

 

それでも15世紀の墓の遺跡から出てきた米の炭化した塊には、なかに「銭」が入っていたものがありました。

どうやら葬送儀礼としておにぎりを作りその中に銭3枚を入れて遺体と共に火葬したということがあったようです。

この結果、確かにおにぎりが作られていたのは間違いないということが分かりました。

 

日本ではあまりにも普通に作られているおにぎりですが、世界的にみればそれほど普遍的なものではありません。

米の品種によっては握って成形することができないものも多いからです。

インディカ米や熱帯ジャポニカでは粘り気が少なく、握っても固まりません。

また、中国や朝鮮半島では粘り気が比較的強い米を食べていますが、そちらでは冷えた米飯を食べる習慣がないため、おにぎりにすることはありません。

 

また粘りの強いジャポニカ米であっても炊飯方法によっては粘り気がでないこともあります。

日本で通常使われている炊飯法は「炊き干し法」というものです。

水加減と火加減とを調節し加熱が完了した時点でちょうど余計な水分がなくなるというものです。

しかし米を茹でて調理する「湯とり法」、蒸す方法、一度茹でてから蒸し上げる「湯とりむしあげ」、煮る方法、炒め煮など様々な方法があります。

弥生時代の日本ではどのように調理していたのか。

その調理器具と食器から、湯とり法であったと思われます。

また当時のコメは品種としては今より粘り気の少ないものであったようです。

そのような方法でゆで上げたコメを高坏に盛って手づかみで食べていたのでしょう。

 

その後、古墳時代になると米を蒸し上げる方法に移行しました。

どうやら、様々な品種が混ざってきて粘り気も様々な米は、蒸した方が調理しやすかったようです。

徐々に粘り気も強くなり、食器も一人一人の椀が使われるようになりました。

ここまでくればおにぎりまではあと一歩?

 

平安時代の後期以降になり、鉄製の鍋や釜が現われてカマドでの調理が広まります。

これらの器具でようやく炊き干し法による炊飯ができるようになります。

米の品種も粘り気の強いものとなっていきます。

食器もめいめいの椀から箸で食べる形態となっていますので、相当モチモチとした食感になっています。

その頃にはもしかしたら携帯用に丸めたおにぎりも出現したのかもしれません。

 

というような歴史の経過で現在のおにぎり文化が出来上がったということでした。