爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「食文化からイギリスを知るための55章」石原孝哉、市川仁、宇野毅編著

イギリス料理と言えば不味いので有名などとも言われますが、実際にイギリスを知る人から見ればそうでもないという話もあります。

いろいろと食文化については興味ある点がありそうなイギリスですが、歴史から現状まで様々な面からそれを説明しています。

 

イギリスの歴史を見ると様々な事情から特徴的な文化を形成したということが分かります。

次々と海外から征服者がやってきて統治者が代わり、その文化がもたらされて融合していたこと。

ヨーロッパでも北方に位置するために農作物の種類が限られたこと。

国力を増して世界の覇権を握り各国の産物を集めることができ、また広く植民地を持ったためにそこの人間との関わりも強まったこと。

さらに世界大戦の際には海外との食糧貿易が途絶えてしまいそれに耐えざるを得なかったこと。

こういったことが深く関わり現在のイギリスの食文化を作っています。

 

例えば大戦時の窮乏生活では食べ物の味などは問題ではないと言った道徳的観念が作られ、それが料理の味にはこだわらないという思想を作り、イギリス料理はまずいということが外国だけでなく自国内でも自認するということにつながりました。

また海外の元植民地などからの流入者が多くそれぞれが故郷の料理を持ち込んだことが現在の海外料理取り揃えのイギリス文化を創り出した一面もあります。

 

現在でもイギリス人は馬肉を食べません。

しかしかつてはヨーロッパのキリスト教国のほとんどが馬肉は食べませんでした。

ローマ帝国のグレゴリウス三世の馬肉禁止令が732年に出されたのですが、その後徐々に馬肉も食べられることとなっていきます。

フランス人が馬肉を食べだしたのがナポレオン戦争中で、食糧の尽きたフランス軍が馬肉を食べたところ非常に美味しいばかりか壊血病は治る、傷口が癒えると良いことが続いたためにフランス軍では馬肉を積極的に食べるようになったそうです。

イギリスでは経済力が強くなったために牛などの肉が供給できたために馬を食べる必要性はなく伝統を守られたそうです。

 

18世紀のチャールズ・タウンゼントは政治家としては政争に敗れ故郷に帰ったのですが、そこで農業の革新に手を付けます。

それまで1000年にもわたって続けられてきた農地の三圃制は春小麦、冬小麦、牧草地の輪作で連作障害を逃れていたのですが、冬場には家畜の餌が無くなるために秋に家畜を屠殺して塩漬けなどの保存食としていました。

これを改良し小麦、クローバー、大麦、カブの4種の輪作としました。

クローバーは窒素固定の作用があり農地に栄養を補給します。

またカブは冬季の家畜の餌とすることができたので、家畜の通年飼育が可能になり、年中生肉が手に入るようになったのでした。

このノーフォーク農法と呼ばれる方式により家畜の生産量だけでなく穀物の生産も向上しました。

 

経済力の増したイギリスには植民地だけでなく他の国からも多くの移住者がやってきて働きましたが、彼らのために故国の料理を作って食べされる店も次々とでき、それがイギリス人にも評判を呼んで流行するといったことが続きました。

現在のイギリスのエスニック料理のベストテンは、中国、イタリア、インド、タイ、メキシコ、日本、ギリシャといった順番になっています。

中国料理店はイギリス全土にありますが、香港の中国返還もありイギリスへの移住者が多いため各地に出店しました。

インド料理が意外に少ないのですが、これはカレーなどの料理はすでにイギリスの家庭料理となっており、料理店としては必要とされていない一面がありそうです。

 

イギリスは気温が低いため野菜の栽培には不向きで、肉を主に食べるのが普通でした。

身分制度が固まるにつれ、上流階級は肉を食べ、庶民は穀物や野菜を食べると言った差別ができてきます。

そのため、上流階級は野菜を食べることが下品なことと見なすような意識となりました。

ようやくチューダー王朝になると野菜も増えて王侯貴族も野菜を食べるようになります。

ヘンリー8世はヨーロッパ各国から珍しい植物を集めて植物園を作り貴族に見せびらかしました。

エリザベス女王の時代になるとさらに加速し農作物や果樹の栽培をするのがブームとなってきます。

 

イギリスでは朝食に多くの食材が調理される豪華なイングリッシュ・ブレックファストというものが出されます。

ヨーロッパ大陸ではコーヒーとロールパンだけという簡素な朝食で、これをイギリスではコンチネンタル・ブレックファストと呼び自国との違いを見出しました。

ただし、歴史的には地方の田園領主のジェントリ層では朝食をたくさん食べてから狩りなどに出かける習慣から朝食を豪華にする必要がありましたが、それ以外の人々はそれほど朝食を食べてはいませんでした。

都市部の上中流階級は18世紀までは朝食をほとんど食べていなかったようです。

19世紀に入り上流階級でも朝食の変化が起きました。

ヴィクトリア女王の習慣から、晩遅くの食事をディナーとし、それと釣り合いを取るために朝食もそれまでより少し遅い8時から9時として様々な温かい料理を出すようになりました。

さらにこの習慣は昼間は仕事が続くようになった都市部の上中流階級にとっても好都合であり、朝食と夕食を重視することが広がっていきます。

ただし、現在では徐々にこのようなイギリス風朝食をとる人は減っており、シリアルやパンだけという人が増えてきたそうです。

 

各国料理の流入が家庭料理まで変えてしまったというところは、日本の状況ともよく似ているように感じます。