爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

読書記録補足、「なぜデジタル社会は持続不可能なのか」

最近、「なぜデジタル社会は持続不可能なのか」(ギヨーム・ピトロン著)という本を読み、その内容に深く同意しました。

その読書記録は近日中に公開しますが(乞うご期待)その本の内容は非常に多くとてもまとめきれなかったこともあり、また自分の意見もそこに入れると読書記録としては不正確になるため、ここに読書記録補足として記録しておくこととします。

 

デジタル社会は刻一刻と膨れ上がっているようで、ほんの数年前の状況ももはや変わってきているようです。

デジタル化が進むことで環境も改善されるなどとIT企業などは宣伝していますが、実際には全く逆だということは本書の中で解説されています。

それが、エネルギー特に電力や資源(レアメタルその他)を膨大に消費するということからの影響です。

 

データセンターが莫大な電力を消費するということは問題化しつつありますが、本書図表の中のデータセンター分布図というものがその局在ぶりを示しています。

アメリカ東部西部、東西ヨーロッパに加え北ヨーロッパ、中国に大きく分布しており、そこでは電力不足が頻発しています。

北欧のノルウェーフィンランド北部の北極圏にどんどんと進出しており、そこでは水力発電も盛んでしかも冷房に有利だそうですが、それでも瞬く間に溢れるでしょう。

以外に少ないのが日本ですが、今後はどんどんと進出してくるでしょう。

そうして日本でも電力不足が表面化しそうです。

 

年間データ量という付図がありますが、これから、そして近未来のデータ量はまさに指数関数的に増加していきます。

2025年に175ゼタオクテット(何の単位?)となるものが、わずか10年後には2142となるとか。

その時にはそれに伴う電力消費も莫大なものとなるのでしょう。

 

このようなデータ量の増加はGAFAMなどのIT巨大企業の思惑もあるのでしょうが、それ以上に我々利用者の使い方にも大きな責任がありそうです。

どうでもいいような(本人にとっては重要でも)友人や家族の動画、それも精細化がどんどんと進み莫大な記憶容量を持つようになったものを、毎日のように撮影しては保存してしまう。その保存先がデータセンターというわけです。

そして、AIの爆発的な増加というものはさらにデータ量を押し上げます。

AIは利用者が認識している以上に計算を繰り返しています。それがすでに莫大な量となっていますが、それをさらに増やそうとしています。

自動車の自動運転などもそれを加速します。

コネクテッドカーという、ネットに直接結びつけられて外界の情報をリアルタイムで処理し自動運転に利用するという方式が普及すればデータ量は爆発的に増加するでしょう。

 

本書は副題に「ネットの進化と環境破壊の未来」とされていますが、あまり「未来」については書かれていません。

それよりも現状と近未来の予測数値を示すことに力を入れたようです。

 

ということで、無責任な読者である私が大胆にも未来予測をしてしまいましょう。

 

デジタル社会を支えるレアメタルなどの供給も大きな不安要素ですが、それよりも極めて近い将来に現れそうなのが電力不足と考えられます。

欧米ではすでに表面化しており、IT企業は自ら発電事業に乗り出すほど追い詰められているようですが、日本ではこれからでしょうか。

それでもあっという間にやってきそうです。

 

そうなった場合、対応はまさか太陽光発電の増強などではあり得ません。

もはやあのような子供の遊びに等しいものは存在する価値も無くなるでしょう。

原発の増強も急がれるでしょうが、そんなものはいくら慌てても間に合いません。

やはり火力発電所の新規建設、それも天然ガスばかりでなく石炭も。

それでも電力不足は解消できません。

そして電気料金の高騰が始まります。

今のような発電燃料の高騰によるものばかりでなく、消費電力量自体の増加に供給量が間に合いません。設備増強にはさらに資金がかかることになります。

そしてさらに燃料が高騰するのは世界的な要因からくるものでしょう。

世界のどこでも燃料が不足してきます。

電気は需要と供給のバランスが崩れると破壊的な停電が起こります。

そういった停電が頻発するようになり、めでたくデジタル社会は崩壊に向かうでしょう。

 

こういった事態がいつ起こるのか。

様々な未来予測は「いずれはそうなるが、まだまだ起きない」というものでした。

しかしこのデジタル社会の崩壊は意外に早い時期にやってくるかもしれません。

その時どうなるか。

スマホが使えなくなる」などということだけで終わるはずもありません。

社会全体が大きく揺れ動くことになります。

これはどうやら「私の寿命があるうちに」どころではない近未来に見ることができるような事態となりそうです。