爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー依存文明はどこから破綻するか。

現代文明がエネルギーに過度に依存しているということは、これまでも繰り返し書いてきています。

人類が食物以外のエネルギーを利用するようになったのは、火の利用を始めてからのことですが、それはおそらく食物の煮炊きと保温などに必要な焚火などへの薪の使用からでしょう。

そしてそれは人類の歴史のほとんどの期間、基本的には状況は変わっていません。

 

しかし産業革命で石炭の利用を始めて以来、化石燃料という極めて効果的なエネルギー物質を使うことで科学技術の急速な発展を実現しました。

最初は石炭の熱エネルギーとしての利用ですが、その後石油、天然ガスと範囲を広げ、エネルギーの形態としても電気エネルギー、さらにウランなどを用いる核エネルギーと広げていきます。

 

今では、生産、移動、情報のそれぞれの分野で大量のエネルギーを使うこととなり、見方によればエネルギーに依存しているとも言うべき状態となっています。

 

ところがそのエネルギーの供給の点で陰りが出てきました。

 

化石燃料の使い過ぎで大気中二酸化炭素が増加し、気候が温暖化するという恐れが出てきました。

そこで二酸化炭素発生を減らさねばならないということとなり、化石燃料の使用を削減するべきだということになっています。

その理論と目的、手法については多くの疑問がありますが、とりあえずここではそれは取り上げません。

 

問題は「代替エネルギーは供給量が不足する」ということです。

 

もうすでに国土のかなりの面積を占めているかのような印象のある太陽光発電ですが、まだまだ供給量はわずかなものです。

風力発電と合わせてもそれで電力需要を賄えるかは疑問です。

ペロブスカイトで建物のどこにでもなどと言ってもそれで得られる電力は大したものにはならないでしょう。

しかも、「電力以外のエネルギー」まで考えると全く不足します。

現状では電力で賄っているエネルギーは一部であり、化石燃料を直接使うことが多くなっています。

自動車燃料、熱源などに使われていますが、それも再エネ電力で供給するなどということになれば全く不足します。

不足分を原発でと目論んでいる連中もいるようですが、そう簡単にはいかないでしょう。

 

つまり、あくまでも化石燃料削減を進めようとするならば、いずれ大々的なエネルギー供給不足が起きるということです。

 

おそらくその時点で脱炭素化などは無かったかのような顔をして化石燃料に舞い戻るのだろうとは思いますが、もしもそうでなかったらという予測を立ててみます。

 

現代文明はエネルギー供給が不足するとどうなるか。

 

まず、上に挙げた中でも最もそれに弱いとみられる情報分野では。

IT化、AI化などと言われていますが、そのほとんどはコンピュータ技術によります。

それには大量の電力が不可欠です。

装置の運転の所要電力も莫大であるだけでなく、半導体産業では製造自体にも大量の電力を使用します。

さらにそれを使って通信をしていますが、その必要電力も莫大です。

そこに電力供給不安が到来するとどうなるか。

まず目につくのがネット環境の維持困難でしょう。

スマホが無ければ何もできない人々に多大な困難が降りかかります。

さらにそれを支えている情報産業も動かなくなれば影響は多大です。

そこに「半導体産業も動かない」となれば、人類の未来を変えるとまで言われたAIも完全に行き詰ります。

 

運輸交通など移動に関してはどうでしょう。

EVが普及しているなどと言われていますが、日本ではまだ販売台数に占める割合が数%、ヨーロッパでも20%程度です。

自動車全体からみればまだまだ小さな割合です。

その他のほとんどの自動車はガソリンやディーゼルなどで動いているということです。

これを石油供給危機が襲ったらどうなるか。

その兆候は燃料の急激な値上がりから始まるでしょう。

それに対し、各国は暴動の恐れを心配しながら、国家財政の支援をしていくのでしょうが、供給が減り続ける中ではいつまでも続けられません。

やがては一般庶民では負担できない価格になり、見事自動車社会は動きが取れなくなります。

これは通勤通学に差し支えるどころの影響ではありません。

最も厳しいのは物資の流通ができなくなることです。

ネットやコンピュータが動かなくなるといった、上記の影響はまだ人々の生活に直接は応えません。しかし物資が動かなくなれば生命に関わります。

 

生命にかかわるといえば、本当に厳しいのが食料品などの生活必需品の生産でしょう。

これもエネルギーに深く依存しています。

農産物の生産すら燃料がなければどうしようもありません。

農作業もできない。農薬、肥料も作れない。

肥大した人口を養うことすらできず、空前の大飢饉となるでしょう。

 

エネルギー依存文明というものがエネルギー供給に異変が起きたらどうなるか、極めて厳しい状態になります。

その状態ではいわゆる再エネや原発、水素などといった、ままごとや遊戯に過ぎないものは存在価値がありません。

そのようなものに現在の資源と資金、エネルギーを浪費することなど無く、最も貴重な化石燃料を大切に使いながら、人類文明をエネルギーに依存しない形に変えていくことこそ現在行うべきことなのです。