八代は江戸時代に始まる石工の里として知られており、この度国宝となる山都町の通潤橋をはじめとして九州各地に広がる石橋や八代干拓の樋門、そして城の石垣などを作ったのもその石工たちでした。
その伝統を日本遺産とされたのですが、その歴史を示す展示が企画展としてで開かれていました。
dendenkan.city.yatsushiro.kumamoto.jp
(会場で配布されていたパンフレットです)
現在の八代市東陽町種山付近に住んでいた石工たちは元は近畿地方で城の石垣造成に携わっていたのですが、加藤清正の肥後藩領有時に熊本城などの石垣造成のために招聘され、そのままこちらに住むようになったようです。
彼らがその後各地に石橋や干拓の石垣、樋門などを作っていきました。
こういった石橋が特に八代市東陽町周辺には数多く残っています。
山あいの土地で谷川が深いために橋の必要性が高かったこと、そして石材が使いやすかったのが理由でしょう。
八代平野は干拓で広げられてきたのですが、そこにも石工の活躍が関係しており、上の写真に見られるような樋門というものが海と干拓地を隔てて水の出入りの調節をするのに役立つことになりました。
なお、山あいの田畑の棚田の石垣にもその技術が利用されていたようです。
なかなか分かりやすく、きれいな写真展示でした。
なお最後に訪問客用に地図とアクセス交通機関も掲載されていました。
まあもしも来たいと思われる方がいらっしゃれば参考に。