藤沢ー大船
藤沢駅も大きく変わりました。
最初にそこを訪れたのは、昭和41年(1966年)、私が小学校6年の時茅ヶ崎に父が家を建てて引っ越してすぐのことです。
当時はまだ藤沢駅も北口も南口もまともな駅前広場もなく、江ノ電の駅が小田急藤沢駅のすぐそばまで来ていたように思います。
しかしその後すぐに南口は整理が進み、江ノ電藤沢駅は広場を挟んで南側の当時の江ノ電デパートの中に移転しました。
それがいつだったのか、正確なところは分かりません。
したがって、この文章の主題である、「私が大学通学当時の車掌風景」とするには難しいのであえて触れません。
まあ、だいたいのところということで。
藤沢駅を発車する上り電車は最初に少し右にカーブした後左カーブして大船に向かいます。
藤沢駅周辺はその当時もすでに住宅やビルが多かったのですが、その先は田畑が多かったと思います。
大船に近づいてくると左側にはその頃は武田薬品の研究所だった建物が見えてきます。
その少し手前に、今はフットサルの施設や本屋となっている建物がありますが、かつてはそこに日本通運の営業所がありました。
大学通学時もそうだったと思いますが、そこに一度だけ訪れたのはそれよりは10年近く後のことでした。
就職し熊本の工場に赴任し、そこで結婚して1年目、藤沢の研究所に転勤となって引越し、その荷物を積んだトラックが着いたのがその営業所でした。
トラックに一緒に積んだ自動車を引き取りに営業所まで行った覚えがあります。
その反対側、車窓の右側は今では住宅や事業所が立ち並んでいますが、かつては田畑も多く、山林もあるところでした。
そこを過ぎると、左側には大船フラワーセンターがありました。今でもあるのかな。一度も行ったことがないので分かりませんが。
右側の車窓には今はJRの引き込み線があり、電車が並んでいますが、かつてはどのようだったのか、あまり印象がありません。
この開業は1970年ということですので、私の大学通学時にも確実に運行していたはずです。
しかし、これまでも一度も乗車したことも無く、その印象は薄いものです。
左側には昔から変わらず大船観音が見えてきます。
それに目が止まりますが、大船駅周辺はさすがに時代とともに変化が大きく、その変化がいつのことか、はっきりは覚えていません。
大船駅は現在ではJRは東海道線、横須賀線、京浜東北線、そして湘南モノレール線が集まる駅ですが、京浜東北線が大船まで伸びたのは1973年、つまりここで扱っている私の大学通学時の直前に開通したわけです。
大船駅というところはあまり降りたことも無く、印象も薄かったのですが、最近になって何度か訪れることもあり、以前よりは身近に感じられるようになりました。
大船ー横浜
現在は東海道線の列車も大船の次は戸塚停車、その後横須賀線とは離れて横浜まで止まりませんが、かつては戸塚にも停車しませんでした。
そのため、大船横浜間は20分近く走り続けていましたので、もしも座席に座っていられれば(厳しい条件です)一眠りのチャンスでした。
一方で、その当時は私もやや精神性大腸炎の傾向があり、特に朝の通学時には時々下痢症状を発することがあって、すぐに降りれないこの区間ではかなり苦しい思いをしたことも多かった記憶があります。
横浜に着いて必死の思いでトイレに駆け付けても一杯で並んで待っているということもありました。
大船駅から先、東海道線と横須賀線が分離されたのは私が大学卒業後となっていますが、そのような運転状況だったのかどうか記憶があいまいです。
保土ヶ谷駅、戸塚駅もホームのある線路を通過していたのでしょうか。
その状況は戸塚駅に東海道線が止まるようになって変わりますが、これも後の話なので略。
大船を出ると左手には横浜ドリームランドに向かうモノレールがありましたが、その頃にはすでに運行は休止、一度も動いているところは見ることができませんでした。
その先は大工場が次々と並んでいました。
それは戸塚を過ぎても同様ですが、現在の東戸塚駅周辺は当時はほとんど家も無く山あいを走っているかのように感じられるばしょでした。
まだ冷房車も少なかった頃で、夏は窓を開けて外の空気を入れていたのですが、この付近に差し掛かると風の温度も確実に下がり、草の匂いもしてきたものです。
そのあたりが最高点で、徐々に築堤を下がって保土ヶ谷駅に向かっていきます。
このあたりは崖沿いに家が立ち並んでおり、崖崩れは大丈夫なのかと当時から気になったものでした。
保土ヶ谷駅を通過するとも横浜までわずか。
左手からは相模鉄道の線路が現れ、横浜まで並走します。
横浜駅直前では京浜東北線も大船駅以来の再会となり、一気に都会感が出てきました。
横浜駅は今の状況とそれほど変化はないようにも思いますが、やはりあちこち変わっているのでしょう。
駅ビルも相当変わっており昔の記憶をたどるのは難しいものです。
(旅はさらに続く、かな)