爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢の話「東京で大地震にあい実家まで帰る難行苦行」

実際に地震を体験したのは去年の熊本地震を我が家でのことですが、今回の夢は学生時代に東京に通っていた頃に地震に遭って実家のあった神奈川県茅ヶ崎までなんとか帰り着こうとしての苦労の場面でした。しかし、細部までリアルなこと。

 

なお、この状況は当時予備校から大学卒業までの5年間考えていたことで、もしも学校で被災した場合歩いて家まで帰れるかどうかということはシミュレーションしてみました。結論は「無理」だったのですが。

 

夢の中では地震の場面自体は出てきません。

そういったところは飛ばして、とにかく家(茅ヶ崎)まで帰らなければならないという状況になり、どうやらなんとか横浜あたりまではたどり着いたという段階です。

 

今では横浜大船間も沿線には住宅が立ち並んでいますが、40年ほど前には特に保土ヶ谷戸塚間は農地や山林が多く夏の暑い時期に電車の窓を開けると涼風が吹き込むような場所でした。

 

どうもその辺も線路と平行している道路や山林を歩いているようです。

川があると(戸塚の駅のところでしょう)道路が通れなくなっているためか、線路の上を渡り(平時には線路に入ってはいけないそうですが、緊急時です)枕木の隙間から水面を見ながら渡ります。

 

戸塚大船を過ぎると藤沢、ここまでくると通っていた高校も近く土地勘が冴え渡るところです。

道なき道を通り辻堂を越えると茅ヶ崎に入ります。

家まではたどり着かないところで夢は終わり目が覚めました。

 

学校時代に長距離通学をしていたせいで、就職を決める際もとにかく近いところというのが条件でした。

そのおかげでか、勤務先はいくつも転勤で変わりましたが通勤時間は長くて15分、しかも電車・バス利用は一度もないという恵まれた環境で終わりました。

 

それだけに、あの学校時代の電車通学の辛さはまだまだ意識の中で大きいようです。

 

それにしても、実際に東京の真ん中で大地震に遭ったらとても神奈川まで帰るというのは無理です。

回復するまでじっとしているしかないのでしょう。

昔も想像していたように、おそらく大田区あたりで工場火災に巻き込まれるのが関の山というところかもしれません。