普段は寝つきがよく本を少し読むともう眠くなってパタリ、そのまま朝までということが多いのですが、なぜかうとうとしたと思ったら目がパッチリと冴えてきてしまいました。
もしかしたらこの日の昼間、足の痛みがひどいので病院に行き注射を打ってもらったのですが、それが効いたのか。
何とか眠りたいと思い、何か面倒なことを考えれば頭が疲れて眠れるのではと思い、色々と試したのですが、ますます冴えるばかり。
そんな中で考え続けた中の一つが「東海道線の車窓」でした。
とはいっても現在の車窓風景ではありません。
その区間に毎日のように乗っていた予備校から大学にかけて、つまりもうほぼ半世紀前の風景です。
そんなわけで、「夢の話」は何度も書いていますが、今回は「夢を見られなかった話」となります。
なお、この区間をもっともよく利用していたのは上記の通りの期間ですが、それから後も近くに住んでいた時期もあり、また今でも時々行くところですので、本当に当時の風景か、それとも後の時期のものか判然としないところもかなりあります。
まあ、正確に記さねばならないということもないので、間違っていたらゴメンナサイで気楽に書きます。
茅ヶ崎ー辻堂
茅ヶ崎駅は現在は橋上駅、駅ビルもありますが、50年前はまだ北口・南口双方に駅舎がありそこから跨線橋を渡ってホームに行く形式でした。
東海道線ホームは今よりかなり東京寄りにあり、100mほどずれていたでしょうか。
改札口から橋を渡ってすぐがホームの端、そこから先頭までは300mもありました。
さすがに皆近いところで乗りたがるのか、先頭までいけば若干混み具合も違うということで歩きました。
それでも予備校に通い出した頃は茅ヶ崎からでも座れることが多かったのですが、どんどんと人が増えていきその内乗ってすぐに座れることは少なくなりました。
茅ヶ崎駅を出発すると左側には相模線の車庫と車両が止めてある引き込み線が見えます。
そこを過ぎるとすぐに通称「一中通り」と交差します。
ここは現在は地下道となっていますが、かつては踏切だったはずです。
しかし踏切当時の記憶がほとんどありません。
その先に行くと左側にTOTOの工場が見え、上り電車は右にカーブを切ります。
かなり急なカーブなのでこの付近に電車が差し掛かると車輪の音が変わります。
下り電車に乗ってきても同様で、この音が聞こえると茅ヶ崎が近づいたのだと分かり下車の支度を始めたものです。
なお、下り電車では藤沢からここまでは右の車窓から富士山があまりよく見えないのですが、このカーブを過ぎるとくっきりと見えるようになります。
そこからは左右の車窓両方とも住宅が立ち並ぶ風景となり、辻堂駅に近づきます。
辻堂ー藤沢
駅周辺の光景が最近かなり変わったと言えばこの辺では辻堂駅が一番でしょう。
南口も徐々に変わっていますがやはり北口の変化が激しく全く別の町になってしまいました。
なお、辻堂にはその後会社の社宅に住んだ関係でかなり長く暮らしており、その頃のイメージが強く、大学通学当時にどのようであったのかは少し不明確になっています。
現在は北口の駅前にテラスモール湘南という大規模商業施設があり、その先には徳洲会病院があります。
しかしここは以前は関東特殊製鋼という会社の工場でした。
さらにその東側には駅前ハイツというマンション群がありますが、ここも以前は住友発条の工場でした。
そのため、駅には北口が無く北に回りたい場合は少し東側の羽鳥踏切に回ったものです。
駅を発車ししばらく行くと右側には多くの住宅が並ぶ分譲地がありますが、ここも以前はナショナルの工場でした。
そのためか、現在の住宅は皆パナソニックホームズだということですが本当でしょうか。
うちの娘が行った幼稚園がその手前だったので思い出深いところです。
車窓左側にはソニーの工場、そしてその先は現在は湘南フィルモールという商業施設になっていますが、ここも以前は日本電池の工場だったところです。
すっかり風景は変わってしまいました。
その先で引地川の鉄橋を渡ると左側にはヤクルト工場、その先には通っていた高校の校舎が見えます。
あれ、出身高校は公表してましたっけ。
まあいいか。そこに見える高校です。
左側その次は日本精工藤沢工場、大工場が連続していたのですが、このところ徐々に移転していく工場があり減ってきました。
すぐに国道1号線と海岸の国道134号線を結ぶ県道30号線の橋をくぐります。
この道は正月の箱根駅伝のルートとしてもおなじみで、往路では戸塚中継所でタスキを貰った選手が遊行寺坂を駆け下り、その後少し高低差が出るところですが、まだスタートすぐなのでそれほど影響はないところでしょう。
(その1終わり、また気が向いたら続く)