爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「医療民俗学序説」畑中章宏著

新型コロナウイルスの感染拡大はパンデミックと言われるほどとなりました。

その対応には即効の薬も無く重症化し亡くなる人も出ました。

こうなると、昔からの伝統的な方法、「まじない・祈祷」などの民俗学的なものが出てくることになります。

こういったものは、かつても疫病の流行などの際に特に行われました。

そのような「医療民俗学」とでも呼ぶべきものを紹介するとともに、現代の状況についても触れている本です。

 

第1章は伝統的な医療民俗学の解説となっていますが、第2章「ケガレとコロナ」第3章「21世紀のまじない」とこの新型コロナウイルス感染の現状について著者の思う所を記しています。

さらに感染以外の災害、地震津波、洪水・土砂崩れなどに対しての祈祷・まじないといった民俗学的な対応についても触れています。

最後にはこういった災害の被害者が現状で本当に保護されているのか、実際には昔の方が為政者の努力で救われたということもあったようで、決して現代の方が被害者のためになっているとも言えないということを語っています。

 

病気の原因が分からなかった昔は、疾病は目に見えない存在によってもたらされるものと考えられていました。

そういった存在を疫病神と呼んで恐れていました。

しかし疫病神はその他尊崇される神々よりは地位が低いものであり、下級の悪霊だという意識はあったようです。

その対策としても祠に祀ったり祭礼をしたりといったことを行なっていました。

疫病除けということも広く実施されており、疫病神が嫌うようなまじない、お札などを貼り出し近づかないようにと願ったものです。

 

新型コロナウイルス感染拡大で多くの地域で夏祭りなどの祭礼の中止、花火大会の中止に至りました。

しかしこういった祭礼のほとんどはかつては疫病を鎮めるためとして行われたものです。

また花火もそういった意味合いで行われることが多かったものです。

それを感染拡大を理由に中止するというのは、かつての行事実施の意味と全く逆になったもののようです。

 

現代の新型コロナウイルス感染も「神頼み」しかないと感じ「アマビエ」に願うということも流行しました。

これは古代からもずっとそうであり、疾病の中でも感染症は理由も判らないまま多くの人々が死ぬという大災害と見られてきました。

天平奈良の大仏建立もその時代に何度も流行した天然痘と結びつける説があります。

その天然痘の感染源がどこだったかにはいくつかの説があり、天平9年新羅への使いが帰国後に流行らせたというものと、天平7年の遣唐使帰国によるものという説があります。

このような疫病の海外からの流入はたびたび起きたもので、その対策としては仏像を作る以外に「災異改元」と言われる元号を改めることでの対処がしばしば行われました。

こういった疫病では庶民だけでなく皇族や貴族たちも多く感染し死亡したことから社会の衝撃も強かったものです。

 

疫病だけでなく多くの災害が襲ってきましたが、有効な対処もできない人々は神頼みするしかありませんでした。

そういったことからは卒業したかのような現代人だったのですが、有効な治療法のない感染症の前にはまたかつての姿に戻ったようです。

それでもせめて流言飛語や言われない差別などは慎みたいものです。