鹿児島大学は農学部に「焼酎・発酵学教育研究センター」と「焼酎」を看板に掲げる組織を持つ国内唯一の大学ですが、それは平成18年度に発足した寄付講座、「焼酎学講座」に始まります。
これは当時の鹿児島大学理事・副学長の竹田靖史氏が薩摩酒造常務であった本書著者の鮫島吉廣氏に働きかけ、業界一丸となっての寄付をまとめて作ったのですが、その講座の初代教授として、当の鮫島氏を迎えることとしたのでした。
鮫島氏は焼酎メーカーに勤務しながらもその学識は卓越していることはよく知られており、最適の人選だったのでしょう。
この本はその鮫島氏がちょうど焼酎学講座の教授であったころに、日本電気協会が発行する月刊誌「九州の電気」に6年に渡り連載されていたエッセーに加筆してまとめたもので、焼酎や酒文化といったものについて季節の話題を絡めながら書かれています。
平成20年の記事には「事故米」についてのものがありました。
これは、焼酎メーカーに納入された原料米の中に「事故米」と言われるカビや農薬過剰のものが含まれていたという事件で、納入業者が故意に入れていたというものですが、焼酎の風評被害も出ました。
この時に著者が感じたことは、メーカー側と消費者の間にかなりの認識の差があるということでした。
「芋焼酎なのに米を使っている」「その原料に外米を使っている」といったことで、生産者側は常識と思っていたのに消費者は何も知らないということに驚くほどだったようです。
この辺の事情も説明されていますが、外米(インディカ米)はジャポニカ米に比べて吸水がゆっくりとしていて制御しやすいというのは、製造者側としては非常に重要なことでしょう。
芋焼酎の原料としては、現在ではほとんどが黄金千貫(こがねせんがん)という品種ですが、これもそれほど昔からのものではなかったようです。
戦後、サツマイモからデンプンを取り出す工業が盛んとなり、それに適した品種改良が坂井健吉という方により昭和33年に始められ、ようやく昭和41年に品種登録されました。
デンプン工業用としてはその後は別の品種にさらに移っていくのですが、これを焼酎製造用に使うということが広まり、それが最適ということが判ってどんどんと拡大していったそうです。
この品種の採用により、それまでより香味も良くなり、かつてのような臭い焼酎というイメージから脱却できたのでした。
4月に熊本国税局で行われる、「鑑評会」についても書かれています。
南九州4県の酒造メーカーが選りすぐりの酒を出品し、優劣を競うというもので、その審査は国税局鑑定官室と有識者で行われますが、その表彰の際に出品酒のきき酒会も開催され、メーカー技術者などが集います。
芋焼酎は原料の良し悪しが非常に敏感に作用し、有名メーカーでもそれで失敗することがあるというのは厳しい現実です。
芋焼酎の製造の現場で興味深い光景が「芋選別」というもので、原料の芋を製造ラインに投入する直前に作業の女性(ほとんどおばちゃんばかりです)が包丁片手に目を光らせて悪いものがあればそこを切り取るということをするのですが、この本の記述によれば、この作業も昔からあったわけではなく昭和40年代に芋焼酎の品質向上を目指す中で始められたものだったようです。
これとコガネセンガンという品種の採用などが相俟って現在のような高品質の芋焼酎が実現できたということです。
焼酎に関する様々な知識をそれとなくちりばめられている、面白い本でした。
私もかつて本格焼酎製造に少し関わっていたこともあり、焼酎メーカーの製造現場見学や、国税局鑑評会参加といったこともしたことがあります。
鮫島さんの名前も当時から存じ上げていましたが、その後このように活躍されていたとは知りませんでした。
このところ、本格焼酎の売り上げも一時ほどではないようですが、焼酎文化というものは非常に奥深いものがあると感じています。