ブランデーと言えば高級酒、あの思わせぶりなグラスに少しずつ注いで香りを楽しみながら口に含むというイメージですが、最近はあまり目にする機会も少なくなっているような気もします。
そのようなブランデーについて、発祥から発展、そして現在に至るまで詳しく解説されている本です。
ブランデーの上記のイメージは日本だけというわけではなく世界のほとんどのところで共通したものでした。
色々な原料のブランデーというものもありますが、やはりブドウ酒を蒸留して木樽で何年も寝かせて熟成させたものであれば値段もそれ相応に上昇します。
やはり富裕層が食後の落ち着いた時間に暖炉の前で少しずつということになります。
そのせいか、時折爆発的に流行になることがあってもすぐに収まり徐々に需要が減っていく状況でした。
しかし今世紀になってからアメリカの都市部、ヒスパニックや黒人が多い地域で若者たちが多くブランデーを飲むことが流行となっているというころもあります。
また、中国で爆発的に需要が増えていることもあり、品薄からフランスなどの産地以外にオーストラリア産のものも買われているということです。
現在のブランデー生産の中心はやはりフランスでしょうが、ブランデーの蒸留技術は中近東で生まれて発達しました。
それがイスラム教の広がりとともにスペインにも普及しました。
イスラム教徒は飲酒はしなかったのですが、蒸留したアルコールを薬用などに使う習慣がありました。
スペインではレコンキスタという国土回復の動きでイスラム教徒を追い出したのですが、蒸留技術はしっかりと受け継ぎました。
それでワインを蒸留してできたブランデーはキリスト教徒は飲用に使ったわけです。
スペインでは有名なブランデー生産地はヘレスでした。
ヘレスはシェリー酒の生産地としても有名ですが、ブランデー・デ・ヘレスというものも有名なものでした。
それがスペインからほど近いフランスのガスコーニュ地方にまず伝わりました。
それが今から700年ほど前のことです。
ガスコーニュの中心地がアルマニャックで、ここがその後もブランデー製造の中心地となります。
現在では中心生産地であるコニャックにはその後伝わっていきます。
そこにはオランダ、イギリス、フランスの商人の働きも大きく、アイルランドの商人はコニャック地方に製造所を買って自ら製造に当たるものもあり、現在の有力製造者のヘネシーやオタールなどはその名前の由来はアイルランドにあります。
ブランデーの製造法で品質に大きく関わるのはブドウの種類、蒸留の方法、熟成法です。
コニャックではブドウはユニ・ブラン、またはコロンバール、蒸留は単式蒸留器による2回法で熟成はリムーザンオークの樽を焦がしたものに貯蔵します。
しかし他の地域では必ずしもそれに従っているわけではありません。
アルマニャックやスペインでは蒸留は1回でそちらの方が優れていると考えています。
なお、ブドウはかつてのコニャックではフォル・ブランシュとコロンバールという品種が使われていましたが、19世紀に起きたフィロキセラによる病虫害でそれらのブドウは全滅してしまい、新大陸にあったフィロキセラ耐性の品種を台木として接ぎ木して回復させようとしました。
しかしその台木とフォル・ブランシュとは相性が悪くわずかにコロンバールのみが成功しました。
またそれ以外の品種でユニ・ブラン(トレッビアーノとも呼ばれる)が相性が良く生育が良かったためこれに徐々に移行していきました。
それまでのコニャックとは少し性格が変わってしまいました。
21世紀になってからアメリカの都市部の貧民層でブランデーが人気になったのには、ラップやヒップホップの音楽家たちがそれを歌い込んだ歌がヒットしたことが大きく関わっています。
しかしブランデーメーカーはやはり高級酒購入の能力の高い富裕層へ売り込みたいという努力をしているそうです。
中国での富裕層の高級酒人気も高級ワインに続いてブランデーにも参入してきました。
既存のメーカーだけでは賄いきれず、他の産地のものにまで触手を伸ばしています。
これまでは輸送が難しいので入手しにくかったアルマニャックも多く売られていますが、さらに外国産ブランデーの買い付けも増やしています。
その中には標準的なブランデーの製法には達していないものもあるのですが、あまり気にはされていないようです。
コニャックだけでなくアメリカでもブランデーの少量高品質製造を目指すメーカーの参入が続いているようです。
高級品志向のこれらのメーカーが生き残っていけるのかどうか、まだ不明ですがブランデー供給は高級品と普及品に二分化していきそうです。