爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「国」とは何だろう。香港を「愛国者」による統治にしようとしている。

中国は香港の政治を「愛国者」に任せると称しています。

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日本人にとっても馴染みの深かった香港というものが、完全に形を変えようとしているわけですが、そこに「愛国者」という言葉が出てくることに多くの人々が違和感を感じているでしょう。

 

これは実に簡単な話で、中国に関していえば「国」を「共産党」と置き換えれば分かり易いでしょう。

愛国者」=「愛共産党者」

その他もろもろ、すべて中国のいわゆる「国」は「共産党」と考えれば何を言おうとしているのかも分かります。

 

そこから発展して、日本人は何を「国」と考えているのかに想いを巡らせました。

 

政財界の上層部は「国」を「自分たちの利権のもと」と考えているのは間違いないでしょう。

官僚たちも同様です。

 

さて、一般人はどうなのか。

「国」いや仮名で「クニ」という言葉を使う場合は、政体として考えるのではなく、「地元」や「故郷」といった意味が強いのでは。

 

「クニに帰る」という使い方もありますが、これは東京などから生まれ故郷に帰る意味。

「お国自慢」も、「日本バンザイ」という意味ではなく、生まれ故郷の地元の礼賛。

 

そういった「クニ意識」には、しかし「政治体制」についての意識はあまり入っていないのではないでしょうか。

「お国自慢」で県知事や市長の自慢をする人はまず居ないでしょう。

県庁や市役所の業績を意識する人も(一部利権関係にある人を除いては)まずありそうもありません。

 

こういった国意識はおそらく江戸時代の幕藩体制以来のものでしょう。

いまだに日本人の国家というものの認識はその程度のものなのでしょうか。

 

何度も書いていますが、「身近なものから一歩ずつ」という言葉は大嫌いです。

しかし、政治や国家というものを考える時には、地方自治体の市町村運営、都道府県を考えていき、そこから国政に至るという思考行程は必要です。

それなしに、国政の大局だけを見ても地に着いた考え方はできません。

 

しかし、日本人ももう少し政治や国家というものを考えられないものか。

経済しか頭にない人間が大部分で、政治は利権としてか考えられない政治家が大部分。

これはやはり多くの人が真剣に考えることから始まるのでは。