爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「大人の道徳 西洋近代思想を問い直す」古川雄嗣著

「道徳」を学校教育での「教科」とするということになり、多くの人は国が国家主義的な価値観を子供に押し付けようとしていると感じたのではないでしょうか。

しかし、教育大学で道徳教育ということを研究し学生に講義している著者から見ると、本当は道徳という教科こそが民主主義と市民というものを国民に教える唯一の手段だということです。

 

もちろん、現在の道徳科の内容はそうはなっていないのですが、それではどのようなことを教えるべきなのか、それを解説してくれます。

 

なお、本の題名も装丁も地味なもので、あまり期待せずに読み出したのですが、その内容は非常に濃いもので、あちこちで目が開かれたように感じるものでした。

御見それしましたと言うところなのですが、本書あとがきに書かれているように、この本は現職の教員と教育大生を主に読者と想定して書かれたものの、出版社の編集者からぜひ一般向けに出版したいと勧められ急遽そうなったということでした。

確かに、一般人が知っておくべきことが満載というべきでしょう。

 

教科化しようとしまいと、現状の道徳科では「公共心」や「愛国心」を養うと言ったかつての国家主義的教育の中の「修身科」につながる性格を持っているのですが、本来はそうあるべきではありません。

学校の道徳では、「人間と社会と国家の論理」をきちんと教えるべきだということです。

これは日本の学校教育ではまったく実施されていません。

そのために、日本人は老人から青壮年、子供に至るまで民主主義というものが全く理解できていないわけです。

 

古代ギリシャでは都市国家で民主制が取られていたということは知られています。

しかし同時にそこでは奴隷制が実施されており、人口では市民よりはるかに多い奴隷が居ました。

民主制と奴隷制とは両立しがたいように感じますが、しかし当時はこれでしか成り立たないものでした。

アテネでは市民は人口の20%以下で、あとは奴隷でした。

奴隷が働き、生産することで、市民たちはそれ以外のことをすることができました。

だからこそ、政治に参加することができ、民主制を築くとともに軍役も担ったわけです。

 

それから歴史は貴族制、王政と移り変わり、ようやく近代になって再び共和制、民主制、立憲君主制となりました。

そこでも市民が政治の担い手となるのですが、おなじ「市民」という言葉を使っていてもかつての古代ギリシャの民主制とは大きく違うところがあります。

それは、近代以降の「市民」は働かなければ食べていけないということです。

奴隷を持つことができなくなった現代市民は、政治だけをやっているわけには行きません。

そのために代議制という方策を取り、普段は代議士に政治を任せ選挙の時だけ参加するといったことになりました。

 

しかし忘れてはいけないのは、民主制では社会を支配し責任を持つのは市民(国民)であるということです。

政治と言うものに関わらず、金儲けなどだけに没頭するのはかつての奴隷と同じだということです。

社会に責任を持ってこそ、市民であると言うことができます。

こういった哲学を構築してきたのが近代西洋思想であり、ホッブス、ロック、ルソーと発展してきたものでした。

 

ところが、太平洋戦争後の日本はその主権というものの存在を曖昧にしてしまいました。

ホッブスの言う「リヴァイアサン」、誰も太刀打ちできない国家権力ですが、日本ではこれがアメリカということになっています。

主権を放棄する代わりに経済活動だけは自由にやっていいことにしました。

そのため、日本人は軍隊も持たず国防の義務もありません。

自公政権憲法を改正し自衛隊を明記すると言っていますが、これも国家主権を取り戻し軍備を強化するという意味ではなく、アメリカの戦略で使える軍隊を増やすということであるのは明らかです。

ここにも、本当の国家主権と民主制というものを考えることを放棄してしまった日本人の問題点があります。

 

かつての君主制では武器を持てるのは支配者だけでした。

しかしそれを市民すべてで担うことになったのは、民主制だからこそのことでした。

市民皆兵はその後全体主義軍国主義に利用されてしまいましたが、実は民主主義が生み出したものだったのです。

学校制度で国民すべてに教育を施すという「市民皆学」も民主制により作られました。

この意味をきちんと教えなければならないのが、民主制度下の学校であるということです。

 

やはり近代思想の流れをもう少し勉強しておくべきかと感じさせられました。