爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史」小野寺史郎著

中国では共産党政府に対する批判が強まると国民のナショナリズムを刺激して反日運動などで不満を解消させているようにも見えます。

そういった中国のナショナリズムはどのように形成されてきたのか、伝統的中国の世界観から説き起こし、清王朝末期から現在に至るまでの中国の歴史と国際関係、その中から生まれて大きな潮流となった中国ナショナリズムを概観します。

 

現在の中国ナショナリズムを見ていると日本からは奇異に感じることも多くあります。

なぜ領土問題や主権問題に敏感に反応するのか、歴史認識の問題がここまで重要な論点になるのか、チベットや新疆でなぜ民族問題が起きるのか、ナショナリズムによるデモや外国製品ボイコットがなぜここまで社会全体に広まるのか。

現在までの約120年間の歴史を見ていくとともに、4つの参照軸つまり1,上からの公定ナショナリズムか、下からの民衆ナショナリズムか。2,西洋近代志向か伝統文化志向か。3,漢人中心の単一民族国家か多民族性を強調するか。4,ナショナリズムの「敵」として何を位置付けるか。

を取り考察していきます。

 

19世紀末の清朝末期、欧米などの西洋勢力に押された中国では多くの留学生が日本を目指し日本が西洋文明を取り入れた方法を学ぼうとしました。

キーパーソンが梁啓超という人物です。

彼は戊戌変法失敗後に日本に亡命しますが、そこで多くの発信をします。

中でも「我が国に国名がない」ということを言い出しました。

清というのは当時の王朝の名ですが、他にも漢とか唐とか呼ばれてもそれらはいずれもかつての王朝の名です。

それを抜け出しその国土を呼ぶ名を決めなければならないと考えました。

その中で多くの人々から支持されたのが「中国」という名称でした。

 

その後日本の帝国主義的進出が激しくなる中で対日感情は悪化の一途をたどります。

最初のターニングポイントが二十一か条の要求でしたが、さらに山東省の省都済南で日本軍と国民革命軍とが軍事衝突をし多数の死傷者が出たことでさらに対日感情が悪化しました。

それまでは西洋の各国に対する敵愾心が強かったのですが、その後は日本が主な敵国という感覚となっていきます。

 

第二次大戦終結後、国民党と共産党は内戦を起こしますが、共産党が勝ち国民党は台湾に逃れました。

中国共産党共産主義の立場から「民族主義」はブルジョア社会のものとして否定するのですが、「愛国主義」はプロレタリア国際主義と矛盾しないとしていました。

東西冷戦の激化する中、中国はソ連に追随しているのですが、実際には中華人民共和国の「愛国主義」は清末・中華民国の時代の「民族主義」と密接な関係を持ち連続性を維持するものでした。

 

しかし1970年代に入ると中国は最も切迫した脅威はソ連であると見なし、それに対するにはアメリカ・日本と関係を修復するという方針に転じました。

また中国の経済再建のためには日本の資金や技術を必要とするということもあり、米中、日中の関係改善が急テンポで進められました。

そのために共産党の上からの方針で日本も軍国主義者以外の国民とは敵ではないということが押し付けられました。

そのために中国人民の間には反日感情が押さえつけられたまま日本との関係強化ということになってしまいました。

 

その後、中国の経済発展と共に国力増強が意識されるとその押さえつけられた感情が噴き出すようになりました。

その頃には日本側からも靖国参拝などの行動が出るようになり難しいものとなっていきます。

 

突如「大国」となってしまった中国がどのようにふるまうべきか。

これに対し中国政府は明確な答えを持っていないようです。

一見強気な対外姿勢を見せますがそこには自らの不安が見えます。

西洋の人権や憲政重視の価値観は普遍的ではないと中国は主張しますが、それに代わるような価値観を示すことができていません。

中国が主張する国家主権やナショナリズムも世界を納得させられるようなものではありません。

しかもその国家主権やナショナリズムというもの自体が西洋に発するものでしかありません。

今後、中国が真に世界のリーダーとなるにはさらに自身が自覚し変革していくことが必要だということでしょう。