爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

中国で「政治的パフォーマンスが重要」というのは翻訳しなければわからない。

ツイッターにこのような記事が紹介されていました。

 

 

 驚いた部分は「教員評価のもっとも重要な指標」が「政治的パフォーマンス」でるというところで、日本人的感覚から言うと「政治的」というのは「政府批判的」に近いものであるでしょうから、おやっと思うところです。

 

もちろん、中国の言う「政治的パフォーマンス」は「共産党ヨイショ発言を繰り返す」と言い換えなければなりませんから、それを考えればまあ当然のことなのでしょう。

 

それにしてもこういった「翻訳」をしなければすぐには理解できないという国と言うものは厄介な存在です。

それと同時に、「党の正当性に挑戦する発言をした教授は告発」ということを堂々と言う感覚にも危惧を感じます。

 

しかし、「翻訳が必要」ということでは、わが日本政府も決してひけはとらないようです。

「責任は私にあり、痛感している」「安全安心なオリンピック開催」等々、そのまま受け取ったのでは大いに間違ってしまうことばかり言っているのがわが日本国政府の実情でした。

これほどまでに「言葉」というものを大切にしなくなってしまったということは、怒りと言うよりは悲しみを覚えるものです。

一言一言、きちんと責任をもって発言してもらいたいと思います。