ツイッターにこのような記事が紹介されていました。
習近平は「共産党指導部が大学を厳格に管理すること」を求め、教育省も「イデオロギー的、政治的パフォーマンス」が教員評価のもっとも重要な指標であることを明らかにしている。共産党は学生たちに「党の正統性に挑戦する発言をした教授を告発すること」を奨励している。https://t.co/Po3yBZPvHX
— フォーリン・アフェアーズ・ジャパン (@foreignaffairsj) 2021年7月13日
驚いた部分は「教員評価のもっとも重要な指標」が「政治的パフォーマンス」でるというところで、日本人的感覚から言うと「政治的」というのは「政府批判的」に近いものであるでしょうから、おやっと思うところです。
もちろん、中国の言う「政治的パフォーマンス」は「共産党ヨイショ発言を繰り返す」と言い換えなければなりませんから、それを考えればまあ当然のことなのでしょう。
それにしてもこういった「翻訳」をしなければすぐには理解できないという国と言うものは厄介な存在です。
それと同時に、「党の正当性に挑戦する発言をした教授は告発」ということを堂々と言う感覚にも危惧を感じます。
しかし、「翻訳が必要」ということでは、わが日本政府も決してひけはとらないようです。
「責任は私にあり、痛感している」「安全安心なオリンピック開催」等々、そのまま受け取ったのでは大いに間違ってしまうことばかり言っているのがわが日本国政府の実情でした。
これほどまでに「言葉」というものを大切にしなくなってしまったということは、怒りと言うよりは悲しみを覚えるものです。
一言一言、きちんと責任をもって発言してもらいたいと思います。