爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

ロシアの大統領選

ロシアでは大統領選挙が行われており、その報道もされていました。

その中で「愛国」という言葉が何度も語られていました。

 

しかし、ロシアでの「愛国」は「愛プーチン」とほぼ同じです。

ウクライナに攻め込んでいる兵士たちも「愛国」のためと信じさせられながら、実際は「愛プーチン」のために殺し殺されているだけです。

 

この「愛国」については以前にも中国の状況を取り上げました。

中国でも愛国という言葉が頻繁に使われていますが、こちらは「愛国」はほぼイコール「愛中国共産党」でしかありません。

「国を守る」ということが大声で叫ばれますが、これも「共産党を守る」でしかありません。

 

このような「愛共産党」「愛プーチン」「愛金正恩」という実質を覆い隠して叫ばれるのが「愛国」というフレーズです。

それがこういった独裁国家では当たり前のことなのでしょう。

 

幸いにも?日本では「愛国」という言葉は「愛自民党」でも「愛岸田」でもありません。

ただし、「愛国」という言葉が好きな連中が何を意味して使っているのか。

それは決して「我が国」という言葉が皆同じ意味で使っているのではないということを忘れてはいけないということでもあります。

 

少し前も「国のために死ねますか」という話もありました。

ここでも「国」という言葉が何を指しているのかが不明でした。

生まれ育ったこの「国」、税金を納めているこの「国」、それは確かに自分の「国」ではあるものの、それが愛する対象、そのためなら死んでも良い対象と言えるのか。

 

こういうことを書くと、「だからこそ愛国教育を徹底しろ」などと言う連中もいます。

だからこそ「愛国」という言葉自体が汚れてしまっているのだということも気づかないのでしょう。

 

やれやれ、「他人のふり見て我がふり直せ」と言いますが、「プーチンの独裁を見て日本を考え直せ」ということでしょう。