内田樹さんのブログ「内田樹の研究室」で、「コロナ後の世界」という単行本が文庫化され「反知性主義者の肖像」と改題して出版されるとのことで、そのあとがきとして書かれた文章が収録されていました。
blog.tatsuru.comいくつかの文章を集めた本なのですが、その中で元の単行本では「コロナ後の世界」を取り上げて書名としたのですが、文庫版では「反知性主義者の肖像」に変えたということのようです。
その文章の中で気になったのが、「居着く」ことを避けるということです。
内田さんは武道家でもありますが、その武道の中での用語で「居着き」というのは足が止まって動かなくなること、そしてそれは直接「死」につながるということです。
それを抽象的に使って「心が硬くなって動かなくなること」さらに「人間が成長することなく変化することもなくなること」「自分自身にくぎ付けになること」を指します。
武道では敗北することでトラウマになり、何をやってもそれに影響されることを「負けに居着く」というそうですが、その反対に「勝ちに居着く」ことも危険な状態とみられているそうです。
勝てば良いように思えますが、勝ったことで成長が止まることがあるようです。
常に変化していくのが生物として自然な在り方であり、勝っても負けてもそれにこだわりそのまま止まってしまうのはいけないことなのでしょう。
そのためか、「アイデンティティー」というものにも内田さんは疑問を持ちます。
自分探しなどということをやる人もいますが、そんなものを見つけてどうするのか。
そのままずっと変わらないつもりか。
私も年のせいかちょっと頭が固くなってきたかもしれません。もしかしたら心も硬くなっているのか。
まあ「頑固な爺さん」も決して悪い存在ではないとは思うのですが。