「内田樹の研究室」で、内田さんが大瀧詠一を悼んだ文章を挙げています。
大瀧さんが亡くなったのは2013年暮れで、この文章も2014年に「東京人」というところに発表されたもののようですが、昨年末に再度載せたのは何か想いがあったのでしょう。
大瀧詠一さんは内田さんより少し年上ですがほぼ同年配、その鮮烈なデビュー時から内田さんも意識されていたようです。
私はそれより少し下の年代で、大瀧さんの歌を聞き出したのもかなり遅れてからのことであり、その意識の程度も相当違いがありそうです。
内田さんが自分自身について書かれた文章はほとんど読まないのに対し、大瀧さんは自分について書かれた文章にはすぐに反応をしたそうです。
その後、対談の機会も設けられたそうですが、「生涯で最も幸福な8時間半であった」というのはうらやましい話です。
しかし、追悼文としてこのような名文を書くことができる内田さんも素晴らしいものだと思いますが、大瀧さんもこの文章で送られるなら幸せなのでしょう。