内田樹さんのブログ、「研究室」より、「複雑化の教育論」という教育に関する講演の記録を書籍化したものへ「まえがき」として書かれた文章です。
blog.tatsuru.com昨年の夏から今年にかけて各地で講演した内容をまとめたものと言うことですが、編集者が内田さんの言葉の中で印象深かった「複雑化」というものを書名にもしてしまったということです。
「子どもがより複雑な生き物になるのを支援するのが教育だ」というのは刺激的な文章です。
そのすぐ後に書かれているように、親も教師もこれは意外な言葉でありしかも聞かされて納得する人は無く当惑するばかりだろうというのも分かります。
通常は教育の成果として成績向上ばかりでなく感情が豊かになりコミュニケーション力がアップするといくらいのところは想定されますが、「複雑化する」ということを考える人はまずいないということです。
しかし、確かにそうですね。
純真無垢な幼児と言えばそうですが、見方を変えれば単純な存在ということで、それが少年期から青年期にかけて教育(ばかりでなく社会的な影響もうけ)複雑化するというのが成長でしょうから。
自分自身のはるか昔のことを思い出してもそう言えると感じます。
ところが、親はそれでは納得できない人が多いようで。
内田さんの武道塾でも子供も預かって指導しているそうですが、細かく段級位を付けてほしいという要望があるようで、子供に徐々に起きている変化を見つけることができずに、単純な指標を見なければ分からない親がいるとか。
学校の成績のように、数値で表されなければ感じられないというのは親としては少し問題かもしれません。
複雑化して成熟するというのは、求められない時代もあったのではと思います。(今でもそうかも)
皇国少年から皇軍兵士に成長?するには複雑な感情などは邪魔だったでしょう。
それは戦後になり高度成長時代の企業戦士でも同様だったのかもしれません。
複雑な頭でしょっちゅう疑問を感じ考え直すような人間では勝ち残れないとしても不思議ではありません。
しかし、そのような成熟した人間こそが社会を正常に保てるのでしょう。
今の脱炭素化に一斉スタートの時代にはまたその思いを強く感じます。