三国志などもすでに本としている宮城谷さんが改めて諸葛孔明を取り上げました。
ただし既に本筋ともいえる三国志を書いていただけにさらに諸葛孔明をどう扱うかということは難しかったのかもしれません。
本書は上下二巻となっていますが、有名な劉備の「三顧の礼」で劉備に仕えるようになってから劉備が死去するまではそのうち約4分の1程度、上巻の終わりに三顧の礼があり、下巻の中ほどで劉備は死んでしまいます。
上巻のほとんどは劉備に出会う前の諸葛亮の人生の前半を描いています。
ただし、諸葛亮の人生については歴史書にはあまり記述がありません。
本書の「あとがき」にもあるように、参考となる正史の三国志の諸葛亮伝には諸葛亮の人生前半についてはわずかに書かれているのみです。
「諸葛亮は早くに父を喪った。叔父の諸葛玄は袁術の任命によって予章太守となり亮と弟の均を連れて任地に赴いた」
正史というのはこの程度のもので、詳しくは書かれていないのですが、疑問が数々生まれます。
諸葛亮には後に呉の国に仕えた諸葛謹という実兄がいるのは間違いないのですが、それについては何も触れていません。
さらに叔父の玄は正史の注によればその後住民の反乱により殺されたとありますが、他にその後の活躍をする矛盾する記述もあります。
そういった諸葛亮の前半生については、かなりの想像も交えて作り出しているようです。
諸葛亮の少年時代から青年時代にかけて、記録には残っていませんがやはり宮城谷さんの書いているようにかなり激動にさらされたものだったのでしょう。
それは当時の人々の誰もが巻き込まれた運命だったのかもしれません。
それでも何とか難を逃れようとしていた中で運よく命を永らえた人々の中から諸葛亮のような大きな才能をもった者が歴史の舞台の正面に出たというところなのでしょう。
なお、諸葛亮の統治能力、軍事能力についてはあまり優れたものではなかったのではないかという考察も多くされていますが、宮城谷さんの描いている孔明像では確かに軍事能力は最初はそれほどでもないとしています。
ただし、最初の失敗以降は徐々に向上させて軍隊は当時最強となったとしています。
それがどこまで実際の歴史の中での実態を映したものかは分かりません。
後半部、劉備亡き後の宰相としての諸葛亮については通説とさほど違いはない叙述となっています。