自民党安倍派のパー券問題で報道もあきれ果てて「国民は政治とカネの醜聞に飽き飽きだ」などと書かれています。
しかしこれは本当に「政治」の問題でしょうか。
パー券問題では売り上げを裏金化することが派閥全体で共有されていたようで、それが最も大きなことだと認識されていますが、なぜ裏金が必要なのか。
もしも政治資金として使われているならば正当な使い道であることを示す領収書をそろえれば裏金などにすることはありません。
政治資金としては表に出せないものだからこその裏金でしょう。
それでは何のためのカネか。
いわゆる「選挙区対策」といったものが大きいのではないでしょうか。
私の住んでいる熊本の片田舎はまだまだ古い体質があちこちに残っているようで、葬式や結婚式には議員からの電報は当然、有力者であれば議員やその秘書が出席するということもよくあることです。(もちろん包み金は当然)
さらに老人会のグランドゴルフ大会やゲートボール大会などといったものにも議員の金一封や御樽(酒を持ってくることをこう言います)も以前はよく聞いた話ですが、まだあるのでしょうか。
こういった表に出ているものだけでも多数目につきますが、裏ではさらに大きなものがあるのかもしれません。
こういった支出はとても「政治活動」とは言えないでしょう。
行ってみればその政治家の「再選活動」でしかありません。
政治家を志望する候補者にとっては「当選活動」で、こちらはさらに力が(金が)入ります。
それでは本当の「政治活動」とは何なのか。
地域の課題や国の将来を考えるというのが政治家の責務であるなら、それに対する費用は間違いなく政治活動費となります。
ただし地域の課題を拾い上げるといっても有権者との付き合いだけではそうとは言えないでしょう。
国の方針を決めるため、広く世界中の有識者と面談し教えを乞うというならそれは立派な政治活動でしょう。
しかしどうやら現在の日本の政治家でこれを積極的に行っている者はほとんどいないようです。
下手にやると「遊び半分の外遊で金を使った」と言われそうです。
日本国内でもそういった有識者や活動団体との交流などを行うのは政治活動とみなされるでしょうが、これも下手をすると「旧統一教会関係者との交流」などと同様の問題化をされかねません。
難しい時代になっているとは思います。
とにかく、「選挙区対策で金を使う」ことが政治活動などと言うのは全く道理に合わないものです。
「自分の選挙対策のために金を使う」ことは政治でも何でもない。
これを間違えずに切り分けて考えてもらいたいものです。