南海トラフ地震の危険性について繰り返し言われていますが、なかなかまともに考えようという人が少ないのかもしれません。
前回の南海トラフ地震というべき、昭和南海地震は終戦の翌年の1946年に発生しました。
この地震について山村武彦さんが解説していました。
gendai.media戦災の復興もまだの四国近畿をM8.0の地震が襲ったのが1946年12月21日でした。
実は戦争中であった2年前には昭和東南海地震が起きており、この時は南海トラフは東西に分かれて活動したようです。
しかし一気に起きる場合よりマグニチュードは小さくなるとはいえ、地震の激しさに変わりはなく震度6の激震と津波が襲いました。
震度6の地域が高知、兵庫、岡山など、そして震度5は九州から北陸までの広い地域で起きていました。
死者行方不明者は1441人、津波は最大で60㎝とさほど高くなかったとはいえ、広い地域が浸水しました。
まだ多くの地域で戦災復興途上の仮住まいだったこともあったのか、あまり地震の被害の記憶が強くはないのではないでしょうか。
しかし考えられる最大の地震から見れば少し小さかったとはいえ、この地震と全く同じ規模の地震が現在起きれば被害は大きなものとなるでしょう。
しかも、地震の規模はさらに大きくなる可能性も大きいものです。
もしもより大きな地震が起きたら、九州から東海までの広い範囲で被害が予想され、特に四国近畿の被害はかなりのものとなるでしょう。
内陸のプレート内断層地震はかなり長い時間をおいて起きることも多く、なかなかその記憶が伝わりにくいということがありますが、南海トラフ地震のようなプレート境界型の地震はそれよりははるかに短い周期で起きると言われています。
何度も起きているこのような地震はその被害についてもよく知られています。
どのような揺れがあり、津波はどうだったのか、周知して心構えをするべきでしょう。
個人としては「心構え」で良いのですが、行政や企業にとっては存続にも関わることになりかねません。
津波避難タワーはあちこちに建設されているようですが、他にも考えておくことが多いのでは。