爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「大災害の時代」五百旗頭真著

比較的平穏であった時代が続きましたが、最近はまた大きな地震が相次ぎ、気候変動による風水害の発生も合わせて大きな災害が起きています。

このような大災害に対する社会というものはどうあるべきか。

最近の災害の中でも特に被災者、被害額が飛びぬけていた、関東大震災阪神淡路大震災東日本大震災を取り上げ、その被害の様子や復興の在り方を綴ります。

 

著者の五百旗頭さんは政治社会学者ですが、阪神淡路大震災の時は神戸大学教授で被災、そして東日本大震災の時には防衛大学校長でありその後政府の復興構想会議の議長を務めるなど、災害と大きく関わってきました。

被害の実態を詳しく現地調査するといった活動をする一方、それに対する政府や自治体の対策、その後の復旧・復興事業などについても自らも関わる等詳しく知る立場でした。

 

今後も南海トラフ地震や首都圏直下型地震など大きな被害が予測される大地震の発生が危惧されています。

その被害を全く防ぐということはできませんが、少しでも抑えるためにはこれまでの災害の被害をしっかりと検証する必要があるのでしょう。

 

この三大地震はどれも甚大な被害をもたらしましたが、その原因も被害の様相も大きく異なります。

関東大震災は東京直下型地震だと思われていましたが、最近20年の研究でその認識は少し変化してきました。

東京近辺の地震計がほとんど破壊されてしまったために本当の震度が不明のままでしたが、全国の地震計の解析が進み真の姿も分かってきました。

2006年に中央防災会議がまとめた報告があります。

最初に小田原の来た10㎞、松田付近の地下25kmを震源として小田原一帯の地下で大きな断裂が引き起こされ、その約10秒後に三浦半島地下の断裂が連動、これらの双子地震フィリピン海プレート北米大陸プレートの下にもぐりこむ相模トラフで起きました。

この接触面に沿ってさらに連鎖的に地震が広がり、3分後に東京湾北部を震源とするM7.2 の地震を、さらに2分後に山梨県震源とするM7.3 の地震を引き起こしました。

最初の一撃は神奈川県内で激しく、建物崩壊による圧死も相次ぎましたが、関東大震災での死亡者の多くは東京での焼死者が多く、その印象の方が強くなっています。

 

阪神淡路大震災は淡路島北端にある震源から野島断層沿いに広がり、北東方面に六甲山南麓に沿って地下の岩盤が断裂しました。

M7.3で40㎞の活断層が動くという規模の地震でしたがその被害は激しいものでした。

ちょうど六甲山南麓に延びる「震災の帯」とも言うべき地盤の軟弱な大都市が存在したために震度7の揺れの地域で建物が崩壊し、圧死する人が多数出ました。

結果的に全壊となった家屋の30%にあたる3万棟が地震の際に瞬間的に壊滅し、約16万人ががれきに埋まったと推定されます。

その内79%の13万人あまりは自力で脱出できたのですが、のこりの3万5千人は救出を待たなければなりませんでした。

その77%の2万7千人は家族や近所の人により救助される「共助」、警察・消防・自衛隊により救助された人が7900人で約23%が「公助」でした。

それでも災害関連死を除いても5500人の方が亡くなり、その88%が圧死でした。

 

東日本大震災はその規模はM9と桁外れであり、震源域も広大だったのですが、建造物の破壊などによる死者は少なく、圧倒的に多かったのが津波の被災者でした。

死者1万9千人、行方不明者2,600人の犠牲者のうち9割は津波によるものです。

さらに津波による福島原発の全電源喪失によりメルトダウンという大きな事故が起きそれはまだ終息まではほど遠い災害となっています。

この地域は古くから津波災害が繰り返し起きており、明治・昭和・平成と三陸津波と言われる災害がありましたが、その対策は中途半端なものであり、高台移転が行われてもやがて海岸に戻ってしまったり、防潮堤も作られても巨大津波には役に立たずかえって避難を遅らせてしまい被害者を増加させるだけだったというものもありました。

 

大きな災害に対してその復旧・復興を行なうのは政治の責任であり、その政府の実力が現れるものです。

1755年にポルトガルの首都リスボンを襲った地震では大きな被害を出しましたが、ボンパル侯爵による復興事業は当時としてばかりでなく、現在から見てもAクラスの復興事業でした。

それに対して日本の三大地震はいずれも政府の機能が衰えている時に起きました。

関東大震災の時には政変で首相不在、政治決定が遅れ流言飛語による自警団の朝鮮人虐殺まで引き起こしてしまいました。

阪神淡路大震災の際は自民党政府が失政により不安定化し、社会党の村山首相を首班とした政権であり、そのリーダーシップの薄さが問題視されました。

東日本大震災の際も民主党政権に移行したものの各所に軋轢を生じ政府運営がぎくしゃくしていた時でした。

 

それでも阪神淡路大震災の際に極めて対応が遅れた政府や自治体、そして警察消防、自衛隊などの発動も東日本大震災の時には自発的に動き始めることができた部分も多く、制度の整備が進められてはいたことが現れていました。

ただし、これは東京電力という民間組織にまでは届いておらず、この対応はかなり悪かったようです。

 

本書著者の五百旗頭氏はこの本をまとめている時は熊本県立大学の理事長を務めていたのですが、そこでも2016年の熊本地震に会ってしまいました。

よくよく地震と縁の深い方なのでしょう。

今後も巨大地震による大きな被害も予測されます。

できるだけの減災を図っておくとともに、速やかな復興ができるような体制作りというものが大切なのでしょう。