両親の故郷の南信地方に子どもの頃から訪れていたことについては、書いてきましたがその番外編としてかつての下伊那地方の交通状況について、覚えていることを書いてみたいと思います。
ただし、あくまでも子供の頃の思い出であり実際にそこに暮らしていた方々とは比べ物にならない程度の知識ですので、間違いはかなりあると思いますがご容赦ください。
両親の故郷であった下伊那地方には幼児から小学生の頃にかけて頻繁に行っていました。
滞在していたのは主に母の実家の高森町下市田ですが、そこは今のJR元善光寺駅から1.2㎞ほどのところです。
そこまでは国鉄の電車を利用して行きました。
滞在中ほとんどはそこで過ごしていたのですが、その間必ず訪れていたのが松川町の父の親戚の家と飯田市上飯田の母方の祖母の実家です。
大人になってから訪れる際にはもう自家用車利用で行った先でもそれで移動でしたのがそこに至るまでは結構大変なことでした。
松川町といっても父の親戚は町の中心地からは天竜川の対岸にあたる生田というところです。
そのため、高森町からは近いのですが行き方は色々と変わりました。
一番早い思い出はまだ幼児の頃のことです。
おそらく昭和30年代でも早い時期でまだ高度経済成長にも至らない時代でした。
自家用車はおろか、バス路線もまだ整っていない頃ですので、松川町に行くにも飯田線の電車利用でした。
母の実家からは元善光寺の駅が近いのでそこから電車に乗り山吹駅まで向かいます。
そこから何と「徒歩」
まだ幼児だった私にとってはとんでもない距離のように思えました。
しかし今になって地図で距離を測ってみると2㎞ほどであり、今では通常の散歩の距離より短い程度のもので、大したものではありません。
山吹駅を降りた後は山沿いの道を川に向かって進み、台城の山の裾に近づいたところに台城橋という天竜川に架かる橋があります。
今では車も通れるような橋になっていますが、当時は吊り橋でした。
そこを渡ると生田に入りほどなく親戚の家に着きました。
それからしばらくすると各地にバス路線が整備されて行きました。
現在ではまた各地のバス路線が廃止されていますが、当時はかなり広範囲に運行していました。
今でもバス会社は信南交通ですが、当時も同じです。
飯田を中心に四方八方に運行していましたが、飯田から元善光寺を経由し市田駅までの路線がありました。
その途中の武陵地という停留所が母の実家から最も近く、そこでバスに乗り市田駅まで向かいます。
そこから天竜川の橋を渡ると田村という所に出ますが、当時はその天竜川の東岸を南北に走るバス路線がありました。
田村からバスに乗り北上して生田に入ったところで下車するとすぐでした。
バスの利用は飯田市に出る時にも有効でした。
やはり武陵地から飯田行に乗りました。
この国道153号線は今では快適なドライブができる道ですが、当時はその先は怪しいものであったようです。
バスも途中から山側に入り坂道を登りました。
このあたり、記憶が定かではないのですが、どうも県道229号線に入って飯田線沿いに登っていったのではないかと思います。
伊那上郷駅の近くを通り山側から飯田のバスターミナルに向かったように思います。
そこから祖母の実家まではさらにバスを乗り換えたのでしょうが、砂払からは坂道を歩いて登るしかなかったようです。
当時のバスは必ずバスガールという女性が乗っており、乗車券の販売もしていましたが、踏切を渡る際には降りて笛を吹いて誘導といったこともしていました。
のどかな風景だったと思います。
しかし今ちょっと調べてみると信南交通は名古屋や東京へ向かう高速バスが数多く運行しているものの、路線バスはほとんど無くなっているようです。
マイカーの普及で採算が合わなくなったのでしょうが、かつての繁栄ぶりが記憶にあるだけに寂しいものです。
飯田市にはたしかバスターミナルがあったと思うのですが、その場所も今では見当もつきません。
地方切り捨ての国策によって壊滅させられたということでしょう。
農家はどうしても移動手段が必要なため、都会と比べれば早く自家用車(貨物用にせよ)を買ったものです。
母の実家でも確か昭和30年代のうちには軽トラを買ったように思います。
それ以前はどうしていたか、何も無しでは困りますが、かつては人が引くリヤカーだったのでしょうが、その後「耕運機」にリヤカーを引かせるということを始めました。
おそらく昭和30年代の早い時期だったと思います。
もちろん農作業用の荷物や作物などを運搬するためのものですが、本当は道交法違反でしょうが後ろに人が乗るということも普通に行なっていました。
叔父が運転する耕運機の後に乗って出かけるということがよくありました。
スピードは遅く、歩いた方が速いのですが楽しいドライブでした。
色々と生活も厳しい時代だったのでしょうが、子供にとってはワクワクすることがたくさんある田舎での休日でした。
(また何か思い当たったら番外編を続けるかも)