爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

私と長野 その3

性懲りもなくその3です。

 

高校生以降では両親の郷里以外にも長野のあちこちを訪れることがありました。

 

前にも一度書いたことがありますが、高校1年の時の学校の旅行で軽井沢周辺を訪れました。

2泊3日で宿泊地が軽井沢(とはいっても町の方には出ませんでしたが)、そこから万座温泉草津白根山(ここは群馬県ですが)、帰りは清里を通って山梨に抜けるという、東信地方への旅行でした。

白根山山頂からの眺めは素晴らしいものでした。

この時に限らず、どうやら山への旅行は天気に恵まれることが多く、眺望を楽しむことができる幸運を楽しめる記憶があります。

 

大学に入って1年の秋、9月に試験がありその後に少しだけですが秋休みがありました。

その機会に高校時代の友人2人(同じ大学)を誘って、母の実家を訪ねるという旅行をしました。

飯田市の山側の母方の祖母の実家にお世話になりましたが、その翌日にその家のご主人(母の従妹の旦那さん)とその甥の方に連れられて、駒ケ岳訪問をさせてもらいました。

今は色々と規制もあるようですが、当時は駒ケ岳ロープウェーまで車で行ってそのまま山頂に向かうということが可能でした。

初秋とはいえ山の中腹はすでに紅葉、しかもここでも素晴らしい天気で眺望に恵まれました。

ロープウェーの駅からちょっと登ると木曽側も見晴らせる稜線に出ることができます。

そこまでは登ってみて、彼方の御岳や乗鞍岳も見てきました。

反対側には富士山も南アルプスの稜線の上に確認でき、ほとんど歩かずに貴重な体験ができました。

なお、甥の方はサンダル履きでそれで3000m近いところまで歩いて行ったのには少し驚きです。山をバカにするなと言われそうですが。

 

大学3年の時には学科の同級生の有志と旅行に行くこととなりました。

それでもかなりの大人数だったのですが。

ただしこの旅行のことは記憶が定かではない所が多く、断片的です。

夏休みの終わりころで、行先は白樺湖。旅館のようなところには止まらずにキャンプ場だったような、自炊をした覚えはあります。

往路は皆と一緒に信越線で小諸まで、途中では横川でお決まりの峠の釜飯

小諸からはバスで白樺湖に向かったような気がします。

車山高原だったか、少し高いところまで登ったようにも思いますが、定かではありません。

記憶が鮮やかなのはその帰路で、帰りが迫った頃に台風来襲となりました。

これは大変と思って私はできるだけ早く帰れるコースをと思い、皆とは別れて中央線を使うこととしました。

電車は何とか動いており八王子まではたどり着いたのですが、そこから横浜線に乗ったものの相模線は動かない様子。そこで小田急を使うこととしました。

ところが、持っていた切符が国鉄周遊券だったか、小田急は無料では使えないものでした。

とはいえ仕方なく小田急で藤沢まで来たら駅員さんが認めてくれてそのまま出ることができたのだと思います。

 

そこからしばらく時は飛んで、群馬の研究所に派遣で行っていた時に所内旅行で長野へ行くことになりました。

目的地は善光寺、戸隠。北信は初めての経験です。

善光寺でお参りしてから戸隠に向かったのですが、善光寺では例の本堂真下のお戒壇巡り、真っ暗闇の中を進んで御本尊に結ばれている鍵を触れたら極楽浄土と言うものですが、私は無事に触ることができました。

しかし研究所の所長先生は無い無いと騒いでいました。

その後しばらくして先生は亡くなりましたが、極楽往生はできなかったのでしょうか。

出発から帰るまで観光バスに揺られての気楽な旅行でした。

 

ちょうどその頃、30代の半ば過ぎ位でしょうか、前橋に住んでいた時に前述した父の郷里の親戚の当主が亡くなり、一家そろって車で下伊那に向かうこととなりました。

その当時乗っていたのが軽自動車で、それで下仁田から佐久に抜けそこから中山道沿いに和田峠を越えるというルートは非常に厳しいものがありました。

諏訪まで出ればあと少しというところでホッとしたものです。

今の軽自動車はかなり高性能ですが、昔のものは馬力も無く登り坂で登坂車線があるとそちらをトラックなどに挟まれてえっちらおっちら登ったものです。

 

さらに時は飛びますが、兄は勤めの後半は長野担当ということになり、松本に家も買って永住の構えでした。

しかし退職からわずかしか経たない時に病に倒れ亡くなってしまいました。

葬儀も松本で行なうということになり、あわてて夫婦で熊本から駆け付けることとなりました。

新幹線で名古屋まで、そこから中央線特急で松本に急ぎました。

高校生時代にSL写真を撮りに行って以来の中央線ですが、懐かしさを覚える間もなく飛ぶように電車は行き過ぎました。

6月でしたが天気は良く、松本からは北アルプス常念岳もきれいに見えていました。

 

さて、長野の地を訪れるというわけでは無いのですが、東京と九州を結ぶ飛行機の窓からは長野県全体を見渡すことができます。

熊本羽田間は数知れず乗っていますが、帰りの便では必ず右側の窓際の席を取り、窓からの景色を楽しむこととしています。

羽田を飛び立ちせいぜい10分から20分の間でしょうか、左には富士山が見えた直後にはちょうど飯田の上空を通り過ぎます。

天気が良ければそこから伊那谷諏訪湖、アルプスの山々が見えます。

父母の郷里の辺りはちょうど天竜川の流れに山が迫ったところがあり見分けやすいところなのですが、そのあたりが松川町豊丘村の境、そのすぐ北が父の郷里で反対に南に少し離れたところが母の郷里です。

私の先祖の多くがその付近に暮らしていたのだと思います。

山ばかりの土地ですが。

 

まだまだ書いていないことも多いのですが、さすがにこの辺で止めておきましょう。