爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

どこにも行けないから昔の旅の思い出、蒸気機関車撮影旅行

子供の頃に鉄道趣味に目覚めた頃は、ちょうど国鉄無煙化と称して一気に蒸気機関車を廃止して電化やディーゼル化を進めていた頃でした。

そのため、模型作成を主としながらも蒸気機関車の最後の姿を写真に収めようと撮影にも出かけました。

 

とはいえ、まだ小学生から中高生の頃でそれほど遠出ができるはずもなく、東京近郊で日帰りで行ける範囲、八高線東海道貨物線(鶴見・高島線)だけでした。

しかしそれらの路線は早い時期にSL廃止が完了し、次にどこかに行けないものかと本を見たりして考えました。

 

中高生の分際で旅館に泊まるというのは、さすがにおこがましいと感じましたが、当時(昭和43年から44年(1968-69))徐々に進んだ無煙化では東京近郊から日帰りというのは不可能なところばかりでした。

 

さて、どうしたものかと考え、子供ながらあれこれと可能性を考えたのが次の手段です。

 

長野県飯田市近郊の母の実家に泊めてもらう。

ここは以前からしばしば母の帰省にくっついて泊りに行っていたところで、当時はまだ祖父母も元気でしたので行きやすいところでした。

 

そして、幼児の頃に父の勤務の関係で住んでいた名古屋で、当時借りていた家の大家さんとは私の両親と特に仲が良くなり、親戚同然の付き合いをしていてその後もたびたび遊びに行っていたので、そこにも泊めてもらうというものです。

 

それを利用し、次のような行程を考えました。

 

当時の家(神奈川県茅ケ崎)出発、新幹線で豊橋経由、飯田線で飯田まで向かい母の実家に宿泊。

翌朝始発電車に乗り飯田線北上、塩尻より中央西線に入る。

当時の中央西線は、中津川から塩尻区間蒸気機関車が運行していました。

朝から夕方まで撮影。

その後名古屋に向かい、知人宅に宿泊。

翌日家に戻る。

 

この手を3回ほど使って中央西線蒸気機関車を撮影しました。

まったく、悪知恵が働いたもので、親戚知人の皆様にはご迷惑をおかけしました。

 

その最初、おそらく中学3年の夏休みに撮影した写真が以下のものです。

まだ撮影の腕などはひどいもので、列車が来たら慌ててシャッターを切りましたというだけの写真ですが。

 

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藪原駅より少し北側の鳥居峠に向かう辺りのD51が牽引する貨物列車です。

しかしこの時はすでに鳥居峠を越える路線は新線に切り替えたばかりで、それほど面白い写真ではありませんでした。

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同じような場所ですが、カメラを2台持っていき1台はカラーフィルムを入れています。

しかし、撮影の腕が無いのに加えてフィルムの劣化でなんとか形が分かる程度になってしまいました。

それでも、トンネルから列車が出てくる瞬間をとらえるというのは、今考えても難しいもので、よくやったもんだと自分を褒めてやりたい。

 

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藪原駅から上松駅に向かう途中ですれ違った列車を車内から撮影したものです。

走っている列車を撮るのよりは楽だったようで、手ブレはありますが、まだマシなほうでしょうか。

 

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上松駅で降りてみたかったというのは、この木曽森林鉄道が理由の一つでした。

木曽川越しに走っているのが見えました。

木曽森林鉄道は最盛期には10路線以上あったそうですが、この時期にはすでにほとんどが廃止されていました。

この路線もその数年後には全廃されたはずです。

 

この後は予定通り名古屋に向かったはずですが、そちらの方はよく覚えていません。

蒸気機関車撮影旅行はその後、山陰本線関西本線、そして最後の大旅行として奥羽本線羽越本線の撮影まで行い、それで終わりになりました。