爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

太平洋戦争開戦から80年

12月8日は太平洋戦争開戦から80年になるということで、新聞やテレビなどでは特集も組まれているようです。

80年ともなればそれを実際に見聞きして覚えているという人ももうほとんど残ってはいないでしょう。

 

開戦とは言え、それは満州事変から日中戦争へという大陸での戦争が拡大していった中での流れから見れば中間点に過ぎないのですが、やはり日英などの世界諸国との戦争に入ったということでは一つの転機ではあったのでしょう。

 

なお、「太平洋戦争」なのか「大東亜戦争」なのか、そして「第二次世界大戦」なのかといった呼称の問題もよくは判っていないことかもしれません。

まず、「第二次世界大戦」はドイツやイタリアなどの枢軸国と連合国の戦争を含めての大きな範囲のものですので、日本と米英などの戦争状態についてはあくまでもその一部ということで「12月8日」とは関連付けて言えないものでしょう。

 

太平洋戦争という呼称は戦前に一部で使われてはいたものの、1941年の開戦直後に日本軍部により「大東亜戦争」という名称が正式とされ、それ以降はその名を使ったようです。

しかし、日本敗戦後に日本占領を司ったGHQ大東亜戦争という名称を廃し、太平洋戦争を使わせることとしたということです。

 

この名称については批判もあり、中国や東南アジアに至るまでを巻き込んだ戦争としては範囲が限定されているという意見もあるようです。

しかし大東亜という単語自体が既に死語ですのでそれを使うわけにもいかず、どういう名称を使うのかははっきりはしていないのでしょう。

 

さて、客観的に見ればまったく国力に差があるアメリカを相手に戦争に突入したのがなぜなのかということはよく言われています。

ドイツの快進撃に目がくらんだとか、アメリカからの石油が禁輸となりどうしようもなくイチかバチかの賭けに出たとか言われています。

しかし最近読んだ本などからの知識で別の可能性も見えてきました。

「逆転の大戦争史」オーナ・ハサウェイ、スコット・シャビーロ著 - 爽風上々のブログ

(この本の他にも多数関係の書籍があります)

 

かつてのヨーロッパ諸国の紛争は極限まで戦うことなど稀で、少し形勢に差が付くと和平交渉で片付けるといったことが多かったようです。

しかし徐々に国民国家としての体制が強化されると国全体を巻き込んでの戦争となっていきました。

第1次世界大戦はもう完全にこういったタイプの総力戦になっていったのですが、もしかしたら日本軍部はその時代になってもこの旧態依然の戦争観に縛られ、緒戦でアメリカを叩けば有利な条件で終戦の交渉ができると考えたのでは。

他からも完全な時代錯誤の感覚を持っていたことが明らかな日本軍ですので、あり得ないことでは無いのかもしれません。

 

さて、12月8日と言えば何と言っても対米の真珠湾攻撃で、今のテレビなどでもほぼそれに絞られた内容となっていますが、少し経緯を見てみると時間的にはマレー半島のイギリス軍に対しての攻撃の方が少し早いようです。

もちろんこちらも宣戦布告の相手国伝達が遅れていますので、布告前の奇襲攻撃であることは同様なようです。

あまり顧みられることもなくなっているようですが、覚えておきたいものです。

 

現在放映中の朝ドラでも戦争中の描写で家族の多くを失うというものが描かれています。

日本人のほとんどが多かれ少なかれ被害を受け大変な苦労をしていた戦争でした。

それをよく見直してみるということは必要な事なのでしょう。