爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議」半藤一利編・解説

偕行社(かいこうしゃ)と呼ばれる陸軍将校の集会所がありました。

終戦とともに解散したのですが、その後陸軍OB有志により再開され旧陸軍軍人そして現在では陸上自衛隊の元幹部の懇親や通信連絡の活動を続けています。

 

そこで発行され会員に配布されている「偕行」という雑誌があるのですが、そこに昭和51年から53年までに渡って掲載されたのが「大東亜戦争の開戦の経緯」という座談会の記録でした。

 

そこでは、戦争当時の中堅将校が経験した事情が、彼らが60代から70代となった時期に語られていました。

 

昭和史、特に戦争前後の歴史について、多くの取材を重ね数多くの著作を持つ半藤さんはこの記録についても早くに入手し、関係者から出版の許諾も得ていたのですが、なかなかその気持ちになれず、ようやく2019年になって半藤さん自らの解説を適宜加え、多少編集をした上で出版したということです。

なお、半藤さんは2021年にお亡くなりになりましたので、危ういタイミングだったかもしれません。

 

太平洋戦争開戦については、これまでの通説では陸軍が暴走し止められなくなったというのが大方の見方でした。

しかし、この本の中では当時の陸軍中枢部の将校たちは別の感覚を持っていたということが分かります。

もちろん、自分たちの都合の良いことばかりで悪いことは口をふさいだという可能性も十分にありますが、一方的に陸軍が暴走したという見方はできないのかもしれません。

 

座談会に出席したのは十数名、戦争当時もかなりの高位の将校で、事情にも通じていたようですが、それでも半藤さんの解説では「これは誤解」といったものが数多く見られます。

もちろん、誰もがすべてを理解していたわけではなく、かなりの上級将校でも知らないこと、誤解していたことは多かったのでしょう。

そういった生の声が見られるというのは興味深いことです。

 

三国同盟締結、北部仏印進駐、南部仏印進駐、独ソ開戦、御前会議、東条内閣成立、対米開戦といった各時期について、通常の歴史認識とは少し異なる事情があれこれと出されてきます。

 

三国同盟も連合国側に対抗し枢軸国としてまとまるためという感覚でしたが、その思惑はかなり違ったもので、あくまでも「アメリカを戦争に向かわせない」ことが目的だったそうです。

独ソ開戦以前の状況で、ドイツがソ連を一方的に破るというのが日本側でも期待を含めて予測していましたが、そうなればアメリカは参戦をあきらめるだろうからそれを後押しするという意味が三国同盟にはあるということでした。

 

鉄の生産量は直接的に兵器の生産につながり、戦争遂行能力にも影響を与えるものですが、その数字がかなり粉飾されたものだったようです。

座談会出席者の中でもその数字の粉飾に関わった人と、それを信じ込んだ人とが居て、30年経ったこの時になって「そんなはずはない」と言い争っているのは面白い風景かもしれません。

 

米英可分か不可分か、つまりイギリスだけを相手に戦争を始めることが可能か、それとも対英戦争開始はアメリカも巻き込むのかという点の判断は難しいものだったようです。

もちろん、開戦前にもアメリカ相手の戦争は無謀だということは軍部にも理解されており、なるべくならアメリカには触れずにイギリスだけと考えていたようですが、それを止められるかどうか判断には間違いがあったということでしょう。

 

アメリカ相手の開戦ということを誰もが考えていなかったにも関わらず、南進策を進めるはずが真珠湾攻撃に向かってしまった。

そこには陸軍ではなく海軍側の思惑が強くあったようです。

しかも成功と言いながら真珠湾では空母には全く損害を与えることができなかったことを、陸軍側では冷ややかに見ていたようです。

 

しかし、陸軍と海軍の仲の悪さというのはこの時期になっても残っていたようです。

随所にそういった場面が見られました。

結局、誰も責任を取らないような国だったというのは間違いないようです。