いろいろと詰め込み過ぎて変な形になってしまったような「SDGs」ですが、それがなぜこんな風になっているのか。
ちょっと調べてみました。
「SDGsの経緯」で検索すると、国連開発計画(UNDP)のページが出てきました。
もう堂々と「SDGsの背景」と書いてあります。
これを見れば目的達成か。
「人類の尊厳を奪う貧困へのグローバルな取り組み」として2000年に「ミレニアム開発目標(MDGs)」がスタートしたそうです。
その中味は、
所得貧困の削減、肝心な水と衛生へのアクセス提供、幼児死亡率の引き下げ、妊産婦の健康の大幅な改善など、いくつかの重要な分野で15年間にわたり、 MDGsは前進の原動力となりました。 また、無償の初等教育を求めるグローバルな運動も活発化させることで、各国に将来の世代への投資を働きかけました。最も重要なのは、MDGsがHIV/エイズのほか、マラリアや結核など、治療可能な病気への対策を大幅に前進させたことです。
まあかなり立派な内容で、しかもある程度の成果は得られているようです。
ただし、これでは以前から行われている開発途上国の支援活動と何が違うのかという思いも湧いてきます。
成果をあげたMDGsですが、一応の予定期間を終え、さらにその継続を強力に進めたいということになったようです。
さらにジェンダーの平等、教育の平等、医療の改善を進めるということを進め、さらにちょうどその頃に大きな動きとなった環境改善をも含めるということになったようです。
この経緯については、文科省の作った資料にも見えています。
なお、この中の目標一覧はよく出ているあの図よりはるかに分かりやすいので転載しておきます。
どうやら、目標の1-6、10,16はMDGsの頃から継続しているもののようです。
また、13,14,15は環境派の活動を取り込むために入れたのでしょう。
ただし、どうも経済成長とか産業化といったところの部分がなぜ入り込んだのかがはっきりしていないようです。
勝手に推測すると、どうもMDGsというものは開発途上国だけの問題かのようにとらえられがちであり、先進国は金だけ(少しの)出せば良いかのような態度しか取らなかったからではないか。
それを先進国の企業や個人を動かすために、経済成長と言った題目を入れて共に動員しようとしたのではないか。
と感じてしまいます。
貧困や不平等など、世界には多くの矛盾が広がっており、それを何とか改善しなければならないというのは大きな課題でしょう。
非常に好意的に見れば、それを進めるために大きな力を持つ先進国を動かす必要性があり、そのために「経済成長」とか「持続可能性」といった言葉をちりばめ、それで本来の課題を解決に少しでも向かわせようとしているのか。
その点は評価し、前の「国連の担当者の猿知恵、悪知恵、浅知恵」と言ったことは一部は取り消しましょう。
「悪知恵」とは言えないでしょうが、しかし「浅知恵」である疑いは大きいものです。
そのような手段で取り込んだ企業などが、本当に「貧困」や「不平等」に対して真摯に向き合うのか。
はなはだ疑問です。
まあおそらく日本の企業なども本気で取り組む気など無く、形だけ付き合っていれば良いやと言ういつもの対応でしょうが、逆に真剣に取り組むと思わぬ方向に行ってしまう危険性もありそうです。