SDGS(Sustainable Development Goals)という言葉がよく聞かれます。
imacocollabo.or.jpこれについては今年の初めにもおかしな現象だと思い指摘しました。
今もほとんど想いに変わりはないのですが、ニュースで「子供たちにもこの意義を伝える」なんていうことが報道されていたので、これはえらいこっちゃと思いまた書いてみることとしました。
なんで「えらいこと」なのかというと、子供たちに誤った科学的考え方を教え込んだ場合、その子がやがて成長して正しい科学に触れた時にひどい葛藤に悩まされる危険性があるためです。
科学というものを嫌いになるか、社会に対する不信感を強く感じるようになるか、人によって違いはあるでしょうが、良いことにはならないのは確かでしょう。
sohujojo.hatenablog.comそんなわけで、2月の記事とほとんど同じ内容ですが、我慢してお付き合いください。
まず「持続可能」とは何なのかから始めます。
一般的な概念として「持続可能」とは去年と同じことを今年もやって、さらに来年もその次も続けていくということでしょう。
それで大方間違いはないのですが、現代社会はそれが不可能な事態になっています。
エネルギーや資源などは使う分だけ補充されているとは言えず、徐々に少なくなっているため何時かはこれが不可能となります。
エネルギーに関していえば、「太陽から降り注いでいるエネルギー以内で済んでいる」ならば持続することが可能ですが、そうでなければいつかは破綻します。
次に「持続可能な開発」の「開発」に進みます。
「開発」とは「新たなもの」への進出でしょう。
分かり易い例では「新田開発」です。
これまでは他の状況であった土地に手を加え、農産物栽培が可能となるようにします。
日本でもそれが非常に盛んであった時期があり、江戸時代初期や太平洋戦争戦後などには多くの農地が作られました。
しかし、それが「持続可能」であるはずはありません。
何時かは(それも短時間に)新たな農地にできる土地などは払底し、開発は終わります。
その他の分野でも同様です。
「新たな製造技術」であろうと「新たな科学分野」であろうと、広げたものはすぐに行き詰ります。
無限には広げられない以上はいつかはそうなる定めです。
経済成長も同様です。
年率○○%の成長などと言います。
成長がなければ経済自体が回って行かないかのようにも言われます。
しかし、それは単に資本主義という愚かな制度が持つ基本的な欠陥であるにすぎず、成長なく続けていくことができるものでなければいつかは破綻します。
年1%の成長でもN年後には 1.01のN乗になります。
簡単な数学ですぐに分かると思いますが、10年後には1.1倍とさほど驚くほどではありませんが、50年で1.64倍、100年で2.7倍、1000年では20.95倍となります。
経済規模が20倍ということが何を表すのか。それで壊れないのはマネーそのものだけでしょう。
実際のSDGsの内容を見ていきます。
「17の目標」などと書かれています。
貧困問題、飢餓、健康と福祉、教育など、別に「持続的開発」などと銘打たなくてもやらなければならないことばかりです。
「ジェンダー平等」だの「安全な水とトイレ」など、「安全な世界の確立」でも「公正な社会の実現」でも表題は何でも良さそうなことが並んでいるだけです。
もしも「SDGs」などと言わずに「公正な社会を実現しよう」というのであれば、全くケチを付けるところではありません。
まあ、変な事は言わずに「良い世界にしよう」で良いんじゃないの、と思うばかりです。