爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

SDGsって何だ。

SDGsという言葉を聞くようになりました。

と言っても、テレビのCMで熊本出身の某プロ野球選手が「僕はレジ袋を貰いません」なんて言っているだけのことなんですが。

 

しかし、熊本市もなにやらSDGs推進都市となったとか、どこかの企業が参加したとか、そういった動きもあるようです。

 

imacocollabo.or.jp

上記に引用したサイトなどは分かりやすく詳しく説明されているようです。

 

SDGsとは「Sustainable Development Goals」つまり「持続可能な開発目標」ということです。

またまた、「本質的な矛盾を含む用語」ですが、「持続可能」すなわち永久に「開発し続ける」ことなど不可能であることは明らかなのですが、そこ10年も先のことは永遠に属するように思っている人が多いのですから、構わないのでしょう。

 

それでも中で目標とされている17項目というのは、確かにやらなければならないことばかりです。

別に「持続可能な開発」などと言わなくても、「世界を正義が統べるものにする」ということでも良いような気がしますが。

 

とにかく、何でも「持続可能」という言葉を使いたいのでしょう。

2015年に「国連持続可能開発サミット」とやらいうところで決められたそうです。

 

それでは具体的には何をしようとしているのか。

外務省がまとめた事例集がありました。

しかし、なんで「外務省」なんでしょう。

政府の真剣に取り組もうという気のないことがはっきりとしています。

www.mofa.go.jp

パナソニックという電器を中心としたメーカーの取り組み例があります。

なお、別にパナソニックに恨みがあるというわけではないのですが、よく知られた会社なので中身を見てみました。

他にも多数の企業が名を連ねています。

panasonic.net貧困を解決するためには現在電力を使えない地域の人々に太陽光発電機と蓄電池を組み合わせた装置を供給していくのだそうです。

それがどう貧困解消につながるのかもよく分かりませんが、この装置が「持続可能」ではないことははっきりとしています。

化石燃料エネルギーを大量に投入しなければ、このような装置を作り出すことはできません。

前から何度も書いているように「太陽光発電装置だけで駆動する太陽光発電製造装置」ができるものならやってごらん、ということです。

 

自治体でも取り組み例が見られます。

これも、何の恨みもありませんが山口県宇部市の例を取り上げてみます。

www.city.ube.yamaguchi.jp一応「持続可能なまちづくり」と銘打ってこのプランに関連付けようという意志は感じられます。

しかし、その内容は以下の通り、どこかに上げたような事例をまとめなおしただけに見えます。

 

  1. ICT・地域イノベーション働き方改革の推進
  2. 観光産業の推進
  3. 地域支えあい包括ケアシステムと連携したコンパクトシティの推進
  4. 持続可能な開発を学ぶための教育、学習機会の推進
  5. 若者・女性の活躍推進
  6. 共生社会ホストタウンの推進
  7. 子どもの貧困対策、地域の見守り・支え合いの推進
  8. ガーデンシティの推進
  9. 地域エネルギー・バイオマス産業都市の推進
  10. 環境保全対策の推進
    • ごみの排出抑制や環境保全につながる主体的な行動、地域づくりの促進
    • 新興・途上国の環境改善につながる国際環境協力やSDGsの普及促進

 「元気な街づくり」という目標であってもほとんど同じ内容で行けるようです。

 

 

ここで、本当に「持続可能な社会」とはなんであるかをもう一度強調しておきます。

「持続可能社会」とは「流入する資源とエネルギーが流出する資源とエネルギーと釣り合っていなければならない社会」です。

 

資源については最近は廃棄物のリサイクルなどで循環させるというイメージがやや浸透しているのかと思います(全然できてはいませんが)

 

エネルギーの持続可能というのは、それとまったく逆の世界となった今、想像もしにくいものになっています。

地球にあるエネルギーとは、太陽から流れてくるエネルギーと地球創造の時にプレゼントされてまだ残っている地熱エネルギーと核エネルギーです。

それに加えて、かつて我々の遠い祖先にあたる光合成細菌や大木が作り出した石油や石炭といった化石エネルギーが存在しますが、これらはかつての太陽エネルギーの貯金のようなものであり、使っていけばいずれは無くなります。

 

つまり、エネルギー的に持続可能とは、太陽から降り注いでいる太陽光エネルギーの範囲内でエネルギーを使うということです。

太陽光発電を使っていけば良いのではと考えられるかもしれませんが、この発電装置、さらに不可欠な蓄電装置というものは、工業的製造物そのものであり、その製造には大きなエネルギーが必要であり、現状ではそのほとんどが化石燃料エネルギーで賄われています。

本来は太陽光エネルギーだけでそれらの装置の生産も賄い、さらにそれ以上にエネルギーを生み出さなければ実用に耐えないのですが、それをギリギリまで検討されたことはないようです。

 

実は、産業革命以前の社会でもエネルギー的に持続可能であったとはいえないようです。

人間は生活していく上で必ずエネルギーを消費しなければならなくなりました。

それは原始時代に火を使いだしてからのことです。

食物の調理に火を使った加熱ということを始めてから、火を作り出すエネルギー源が不可欠となりました。

しかも、加熱しなければ食べられない穀物類を食料の中心としたために、火がなければ食べる物もなくなるということになりました。

そのために文明が開けて人間が多数集まる都市というものができてくると、その周辺の森林は薪として刈り取られどんどんと減少していきました。

すでに古代文明の時代から人類は「持続可能」ではなくなっていたのです。

 

これは特に火力の基となる木材の生育速度が遅いことによります。

ちょっとした木でもそこまで成長するまでに10年、20年といった時間がかかります。

それでもその木を切り倒して燃やせばあっという間になくなります。

それほどまでに、人間の必要とするエネルギーというものは多量であるということです。

 

こういった基本概念を考えると、SDGsなんて言うものは不可能としか言えません。

ただし、その内容のうち「正義」のために必要なものについては取り組むことを否定するわけではありません。

いや積極的に進めるべきでしょう。

この活動に問題のGAFAや日本でもSB、楽天といった企業は協力するのでしょうか。