著者は方言研究が専門の言語学者ですが、雑誌「日本語学」という本にずっと「ことばの散歩道」というコーナーを連載していました。
それを単行本化したものです。
1回あたり2ページ、ことばに関しての様々なエッセーを続けていましたが、内容によってすこしまとめているため、所々に前後で似たものが続くことがありました。
大まかな区切りですが「ことばの使い方」「海外の日本語」「ことばの展示」「日本語の時空間」「発音とアクセント」「方言の値打ち」「方言の広がり方」「敬語は変わる」「災害とことば」といったものです。
日本語でもローマ字綴りというものが数種類ありますが、韓国や中国では一気に変更したということがあったそうです。
韓国では2000年に従来の「ptk」を「bdg」に変更しました。
李氏朝鮮の「朝鮮」は「Choseon」であったのが「Joseon]となったのですが、様々なところに表示してあるものまで改訂しなければならず、混乱したそうです。
各地の反発もあったようで、プサン(釜山)は「Pusan」が普及しているからとして反対したそうですが、結局は「Busan」となったようです。
なお、これに先立ち中国でも同様に「ptk」を「bdg」に変更する処置が取られました。
そのために北京は従来「Peking」であったものが「Beijing」になったそうです。
著者のユーモアのセンスは筋金入りのようで、「展覧会の字」という記事の中に次のような記述があります。
「若い頃から通勤時間に本を読んで目が悪くなった。代わりにヘッドホンで音楽や語学テープを聞くようになったら耳が悪くなった。一器官を酷使したせいだと思って、考え事をするようにしたら、どうも近頃頭が悪くなった気がする」だそうです。
著者が生まれ育ったのは山形県鶴岡市ですが、当時は魚や野菜は近隣の漁村や農村からリヤカーを引いてくる行商の女性から買うことが多かったそうです。
彼女たちの言葉は鶴岡市内のものとは少し違ったということです。
それがなぜか、子供時代は分からなかったのですが、方言研究を重ねていくうちに気が付きました。
彼女たちは、「営業用」にわざと市内とは少し違う自分たちの村の言葉を使っていたということです。
市内の言葉を使ってしまうと、市内の業者が魚や野菜を仕入れて売っているのと変わらなくなってしまうので、わざわざそういう言葉を使って地元感を出していたとか。
方言だけでなく、エスニックの外国語なども上手く使って営業している例はどこでも見られるようです。
「敬語」について。
敬語と自転車の運転には共通点があるそうです。
「どちらも学校教育が役に立たない」
昔も今も、学校では交通安全教育はされていても、「自転車の乗り方」は教えてくれません。
何とか家庭で練習するしかないようです。
敬語も全く同様で、学校の授業では敬語の使い方というものは教えられません。
しかも今では先生にも敬語などを使うということはないため、どこにも敬語教育の場面はありません。
かつては、学校への来訪者もあったのでしょうが、今では不審者扱いで、簡単には学校内には入れません。
つまり、まともな敬語の教育も無いまま社会に放り出されるので、変な敬語が横行するのも当然ということです。
