母語というものは乳児の頃に周囲の人々が話していたから身に付いたということでもないようです。
徐々に言葉を話すようになると、たいていの子どもでは「かわいい言い間違い」ということをするのは親なら経験があるでしょう。
それが実は、子どもが言葉を覚えていく上で様々な試行錯誤を行い間違えながら発達していくという姿を見せているものです。
著者の広瀬さんは言語学者ですが、息子のK太郎君が言葉を間違えながら覚えていく過程をしっかりと記録していたそうです。
なお、これは子どもを持つ言語学者ならたいていの人はやっているだろうということです。
それを見ていくと、大人はつい忘れがちな日本語の特性というものも見えてくるということです。
「”は”にテンテンをつけたら何て言う?」
というクイズを子どもに出すと、子どもの年齢によって結構答えはばらつくようです。
「”た”にテンテン」「”さ”にテンテン」ならかなり正答率が高くなります。
しかし「は」の場合は結構大きな子でも間違えることがあります。
これは「テンテンをつけること」すなわち濁音化というものが実際には何をやっているかということに関わります。
「テンテンのない音」は声帯を震わせずに口まで到達した空気の流れを使って発音した音で無声音と言います。
一方、「テンテンのある音」は声帯を少し狭めて声帯を震わせながら発音する有声音です。
ただし、「た」と「だ」、「さ」と「ざ」は口のどこを使って発音するかという点できちんと対応しているのですが、「は」と「ば」はそうではありません。
「は」は喉の奥で空気を摩擦する音なのですが、「ば」はそれとは全く違う唇の開閉で出している音です。
その関係は「た」や「さ」とは全く異なります。
この関係のおかしさというものは大人ではもう意識されることはありませんが、言葉を覚えたての子どもでは結構不思議に感じるところのようです。
なお、「た・だ」「さ・ざ」の関係に近いのは実は「ぱ・ば」です。
そして、実に古代の日本語では「は」は「ぱ」と発音していたのです。
それが徐々に変わっていき、室町時代には「ふぁ」と発音するようになり、さらに江戸時代以降に「は」になってしまいました。
昔の方が原則通りになっていたようです。
5歳くらいの子どもでよくあるのが「死ぬ」という動詞の活用を「死む」「死まない」とやってしまうということです。
子どもは大人の使っている言葉を聞いて覚えると考える人が多いでしょうが、大人はどこの方言でも「死む」などと話すことはありません。
子どもはここで何をやっているのか。
動詞の活用形というのを必死に覚えている最中ですが、実は現代日本語ではナ行五段活用という動詞は「死ぬ」の一つだけなのだそうです。
(関西方言では”去ぬ”があります)
そのため、他のマ行五段活用の動詞に合わせてしまい、「死む」と言ってしまうのだそうです。
このような「規則の拡大使用」というのは日本語だけで見られるわけではなく、英語圏でも多く見られるということはそちらの言語学者の観察でも分かっているそうです。
どうやら子どもの言葉の学習過程というものは非常に高度なことをやっているようです。
早期から英語教育なんておかしなことを言っている場合ではないようです。