爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本語の奥深さを日々痛感しています」朝日新聞校閲センター

朝日新聞校閲センターとは、新聞発足時には「校正係」であったものが「校閲部」となりさらに「校閲センター」として現在は東京本社で53人の陣容で活動しているということです。

 

一般人よりはおそらく少しは言語や文章に詳しいかもしれない新聞記者諸君ですが、その書くものにはしばしば間違いや不適切な言葉使いが出てくるため、日々校閲という作業に追われるそうです。

 

この本はその校閲センターのメンバーが「日本語の奥深さ」ということについてあれこれと思う所を書いたというものです。

 

言葉はどんどんと変わっていきますが、その用法はまだ認められないだろうという言葉を使ってしまうという例もしばしばあるようです。

また、完全な新語・流行語というものも次々と現れ消えていきます。

一方ではかつては生活に密着した言葉がその生活の一面と共に消えてしまうこともあります。

そういった例について、まとまりは無いものの示されたものを読んでいくと今の日本語というものが何となく見えてくるようにも感じられます。

 

「にくい」と「づらい」

”燃えにくいとは言うが燃えづらいとは言わない”というのが現状です。

「にくい」と「づらい」はどちらも困難を表す接尾語ですが、「づらい」は特に心理的な抵抗感を示します。

しかし、近年「づらい」が増加しているようで、中高年からは「づらい」ばかりが使われるようになったという声が出ているということです。

「にくい」は平安時代から使われていた一方、「づらい」は江戸時代後期から使われました。

言葉づかいの心理として、本来の用法から少し外れる使い方をすることで新鮮さを見出すということがありますので、だんだんと変わっていくのも当たり前かもしれません。

 

「カミ」と「オニ」

若者言葉で「神対応」や「鬼強い」というものがあります。

物事の程度を強調する言い方として、「神」「鬼」を言葉の上に付けるという用法が広まっています。

その語感はともかく、古くは「カミ」と「オニ」は同義だったようです。

好んで使う若者たちが知っているとは思えませんが、古代の言葉が再び同じような意味で復活しているのは神秘的かもしれません。

 

「終息」と「収束」

この2つは昨年からの新型コロナウイルス感染の中で頻繁に使われています。

ただし、これをきちんと使い分けているのかどうか。

完全に定まっているわけではないようですが「小康状態なら”収束”、根絶なら”終息”」というのが一般的なようです。

これまでの感染症関係では「終息」が使われることが多かったようです。

しかし、「短期的収束」という言葉もあるように、収まっていく過程に注目する場合は「収束」を使うことが多いようです。

 

ラ行の音は「R」?「L」?

元号が「令和」と決まった時、これをローマ字書きする場合「R」か「L」かという質問が読者から届いたそうです。

日本政府では「REIWA」であると公式発表したそうです。

日本語をローマ字表記する場合は、ヘボン式でも訓令式でも「R」を使います。

しかし江戸時代の蘭学では「L」を使った例もありました。

トランプ前大統領が来日し、大相撲で表彰式に出た時の発音が「ゥレイワ」のように聞こえて違和感があったという声も多かったようです。

英語に限って言えば、Rは舌を丸めるのでかえってLの方がしっくりくるのかもしれません。

しかし、Rの発音は各国言語で大きく異なり10種類以上あるそうです。

スペイン語などではRの発音が日本語のラ行に極めて近いということで、かつてそれらの言葉の方が身近だったのもRを採用した理由かもしれません。

 

「どどめ色」はどんな色

「どどめ色」という言葉は聞いたことがあるけれど、実際にはどんな色かは分からないという人が多いでしょう。

アンケートで聞いても暗く濁って黒ずんだ色というイメージを持つ人が多かったようです。

この言葉がよく使われていたのは関東西部、養蚕地帯でした。

「どどめ」とはこの地域の言葉で「桑の実」を示すそうです。

その地方では子どもたちが桑の実を畑から取って食べるということがよく行われていました。

桑の実は濃い紫色で、その実を食べると口の周りもその色になり、それが「どどめ色」だったそうです。

 

なかなか興味深い話がいくつも載っていました。

 

日本語の奥深さを日々痛感しています

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