「かなづかい」というものは、古代には問題とされませんでした。
仮名が成立していく過程ではいろいろな混乱はあったものの、ある読み方に対して仮名の方が多かったものが統一されていきました。
しかし、言語が変化していくと日本語の場合では発音が単純化していき、かつては別の音で読まれていた仮名が同じ音となってしまいました。
「イ」と「ヰ」、「エ」と「ヱ」といった例や、語尾の「ハ」を「ワ」と読むといったことが起きてきます。
その場合にどちらを使うかということが「かなづかい」に当たります。
歴史的な経緯を生かして使い分けるということなのでしょうが、それがどのように成立していったのか、話はそう簡単なものではありません。
本書は、そのような「かなづかい」についての、かつての名著、大野普の「仮名遣の起源について」(1953)、安田章の「吉利支丹仮字遣」(1973)、亀井孝の「”準かなづかい”をめぐる動揺くさぐさ」(1983)を取り上げ、その中で繰り広げられた仮名遣いというものについての主張を再検討していくというものです。
ただし、それらを一般に対して分かりやすく説明するというものではなく、あくまでも学術論文として証拠とその解釈を間違いなく示していくというものであり、素人にとってはかなり読みづらいものでした。
「かなづかい」というものの、一般的な概念としては、万葉仮名から起こった「古典かなづかい」があり、その後鎌倉時代に藤原定家によって作られたと言われる「定家仮名遣」というものが主流となり、さらに江戸時代になって契沖が定家仮名遣いのおかしな点を是正していわゆる「歴史的かなづかい」を作り出したというものでしょう。
しかし、「定家仮名遣」というものが本当に鎌倉室町の時代に普遍的に使われていたのか、それを証明するのは難しいことのようです。
取り上げられた三冊の論文では、大野普は「定家仮名遣」、安田、亀井のものでは吉利支丹文書での仮名遣について取り上げられており、本書ではその主張の妥当性を考察していくものとなっていますが、上述のようにこれ自体が一つの学術論文であり相当高度な内容を含んでいますので、とても簡易にまとめるといったことは不可能ですのであきらめておきます。
いくつか、備忘録に付け加える知識を書き留めるのみとします。
定家仮名遣いについて、その時代にはすでに同音となっていた「オ」と「ヲ」の書き分けを、高いアクセントのオで始まる音は「を」、低いアクセントで始めるオは「お」としたとされています。
ただし、こういった書き分けというものを藤原定家がすべての文書で行っていたかも明らかではない上に、定家以外の人が本当にそう書いていたのか、大きな疑問です。
安田の本では、吉利支丹本に見られる中世末の時代の発音が取り上げられていますが、平安朝以来残存していた「片仮名と平仮名の性格の違い」というものがその頃にもまだ残存していたとしています。
そこでは、片仮名は発音を忠実に写すために使われているとされています。
亀井の本では「正書法」という言葉が使われています。
実は、本書著者の今野さんはかつて「正書法のない日本語」という著書を出版されており、この「正書法」という述語にはこだわりがあるようです。
「正書法」とは字のごとく、「正しい書き方」ということですが、片仮名で書くか平仮名で書くか、漢字混じりで書くか、漢字のみで書くかという選択が書き手の自由であるような日本語には「正書法はない」というのが著者の主張です。
ただし、日本語をかな書きする方法が成立した平安時代に一時期にはそのような「正書法」が存在したと言えるかもしれない。
しかし、その時代は長く見ても100年程度しかありません。
その後1000年以上は正書法を失ったことになり、やはり「日本語には正書法はない」とするべきだという主張です。
内容そのものが非常に難しいだけでなく、学術的な主張を正確に表現するためにさらに難しい表現が使われているために、素人が簡単に知識をつまみ食いしようとするのは大変でした。