雲仙普賢岳の噴火が続く中、山頂に形成された溶岩ドームが崩落して火砕流となって下り落ち、多くの人々が亡くなってから30年だそうです。
現地では慰霊の行事が行われていました。
我が家から少し出ると雲仙岳はすぐ近くのように見えます。
しかし、30年前にはこちらには住んでおらず、仕事で関東に居たために噴火時の様子は見ていません。
当時はまだ火砕流発生という現象について人々の知識がそれほど高まっておらず、危険があまり認識されていなかったということが多くの犠牲者を出した要因であったようです。
しかし、それが起きた後でもどこまで人々の認識が高まったでしょうか。
しかもまだこの火砕流が「大火砕流」であったという論調を多く見かけますが、ここはその後に出版された小説「死都日本」(石黒耀著)の中の記述がふさわしいでしょう。
「本当の問題は、世間が”大火砕流とはあの程度のものだ”と誤解してしまった点にある」
大カルデラ噴火(破局噴火とも言う)の場合の火砕流はその数百倍以上の規模もあり得るもので、現に阿蘇や姶良火山などのかつての火砕流は南九州一帯を一気に埋め尽くすほどであったということです。
このような噴火が近未来に起きる可能性があるのかどうか、分かりませんが起きないとは言えないでしょう。
その兆候が見られたら、とにかくすぐに遠くに逃げるしかないのでしょう。