永井孝志さんのリスク学に関する記事を読んでいて、「モラルライセンシング効果(免罪符効果)」と言う言葉を知り、これまでしばしば不快感を持っていたことの理由がスッキリしました。
それは、「身近なところから、できることから始めよう」という、よく目にする言葉です。
それがあまりにも偽善的であるとともに、どうもその「身近なもの」の取り組みだけで満足してしまい、本格的な取り組みを阻害しているのではないかという思いもありました。
これらの不快感というものは、この「モラルライセンシング」という言葉で表されるものと非常に近いもののようです。
「身近なできること」だけやって、それで満足してしまう。
まさに、かつてのキリスト教堕落のシンボルとも言われ、プロテスタントが生まれるきっかけともなった「免罪符」と同じような作用をしています。
もちろん、「身近なできること」をやったら、その次に何をすべきかを考えて実行に移せるとしたら、それは素晴らしいものでしょう。
そういう人も(もしかしたら)居るのでしょうが、ほとんどは免罪符を貰って安心する人ばかりでしょう。
たとえば、プラスチックごみの汚染が必要であるなら、レジ袋を貰わないということだけで満足するのではなく、根本的にプラスチックというものを使わない社会の実現というものが考えられるかどうか。
二酸化炭素削減のためと称して、多少エアコンの運転を減らすだけで満足せず、石油を使わない社会はどういうものか、考えるだけでも始められるか。
目先のものだけに気を取られるのではなく、根本を考えたいものです。