恐慌といってもこの前の、リーマンショックの話です。
そろそろ次が起こるかもしれませんが。
その直後、2008年末に書かれたもので、まだ現在進行形であった状況です。
恐慌とは、その字の通り「恐れて慌てること」だそうです。
そのような心理に多くの人が陥ることで、実際に起きていることより大きくなりさらに影響が拡大するということなのでしょうが、リーマンショックでは世界中にあっという間に広がりました。
人びとが恐れ慌てるより速かったかもしれません。
第1章ではこの事件の最初から現状までをたどります。
第2章はその原点とも言うべきニクソンショックから、金利自由化、金融証券化を経てこのような事態になる経緯。
第3章ではこの事態に対する各国の対応、「集中治療室」と表現しています。
第4章は資本主義の始まりの頃からそれに付き物だった「恐慌」の歴史。
そして第5章で「そして、今を考える」と結んでいます。
これは最初は「サブプライム問題」と言われていました。
サブプライムローンという、アメリカの住宅市場を膨れ上がらせたカラクリが当然のように潰れたために起きたのですが、しかしこれを「サブプライム問題」とだけ捉えるのは誤りです。
実はサブプライムローンという金融商法に見られる、ローン証券化というものが破綻したものです。
そして、それは証券化というもので正体を隠して世界中の投資を集めたために、破綻した時には世界中にあっという間に波及しました。
日本も最初はこの影響はあまり無いなどと楽観視していましたが、あっという間に多くの金融機関が苦境に陥りました。
恐慌というものは、資本主義の始まりから起きていたという認識ですが、それでも初期の頃とは性格が変わっています。
17世紀のオランダの「チューリップ恐慌」や18世紀の「南海泡沫事件」が初期の恐慌として有名ですが、これらは一部投機家の狂乱が引き起こしたかのようですが、実際は政府などの仕掛けが原因の、「外生的、偶発的要因」によるものと言えます。
しかし、19世紀にはいると恐慌の性格が変わってきました。
1825年のイギリスの恐慌は、すでに産業資本というものがあり、それを支える銀行信用がありました。
それらが暴走を始めて起こった恐慌ということで、「内生的破綻型」恐慌と言えます。
今回の21世紀型グローバル恐慌も、内生的ということでは同様ですが、大きな違いは世界同時多発であるということです。
さらに、モノとカネが完全に分離してしまい、カネの問題だけで起きています。
また、大恐慌までは金本位制の下で起きたものが、今回は管理通貨制度下での発生という点も違います。
管理通貨制度下ではもはや恐慌は起きないとも言われていましたが、むしろモノと決別したカネだけの暴走で恐慌が起きたということが新たな展開と言えそうです。
この本出版のあと、日本はアベノミクスで違った道を歩き出しました。
世界はどうであったのか。
いろいろと違いはあったのかもしれませんが、この新型コロナウイルス流行で経済も全く違った道に入り込みました。
さて、どうなるのか。