爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

しつこいけれど「もしもPCR検査機器がなかったら」

新型コロナウイルス感染拡大とPCR検査の件数、そして感染確認者の取り扱いなど、多くの社会問題が引き起こされ、現在の社会の構造変化まで起きようとしています。

少なくとも、数か月か数年先の感染終息の時には、キャバクラ、ホストクラブ、ライブハウス、カラオケ店は無くなっていそうです。

 

そのような変革の原動力となっているのが、「PCR検査」であるのは間違いないでしょう。

 

数か月前、感染が1次拡大の最中に、このブログで以下のように題した記事を書きました。

そのころと比べると、若干検査件数は増えていますが、それでも大きく変化はしていないようです。

したがって、ここで書いたこともほぼ現在でも成立していると言えるでしょう。

sohujojo.hatenablog.com

繰り返すようですが、その検査の原理から再度説明しておきます。

 

PCR検査というものは、別にこのウイルスを検査するための特別の検査法と言うわけではありません。

遺伝子のDNA配列のある部分を選び出しそこを切断する酵素を選び、その後「ポリメラーゼ」という酵素を働かせてDNA複製を進めるということを高速で行うことによって特定の部分を多数作り出し、それを検出することによって特定のDNAの部分を持つ細胞を見つけ出すということです。

 

その感度は非常に高く、ごく微量のウイルスからスタートしても十分に検出できます。

そのため、ウイルスが人体に感染できないほどの個数であっても検出できるので擬陽性が出るのではないかという見方もあります。

田中宇さんの「国際ニュース解説」(http://tanakanews.com/index.html)

ではこの点を捉えて現在の感染者特定は騒ぎすぎと主張しています。

 

前述の4月のブログ記事で主張したのは、「もしもこのウイルス感染拡大が10年前だったら」ということでした。

正確なことは言えませんが、現在のような性能のPCR検査機器がこれほどまで普及したのはせいぜいここ10年のことでしょう。

それ以前には、「PCR」装置というものは存在しましたが、このように特定の条件で特定のウイルスを高速で同定するということは非常に難しいものでした。

 

もはやこの技術で世界中が動いていますので、いまさら「もしも無かったら」などと言っても仕方ないかもしれませんが、考えておくだけの価値はあると思います。

 

「もしもPCR検査装置がなかったら」

感染者で症状が出たものは、その症状の特徴によって新型ウイルス感染か、別の感染かを医師が判断することになったでしょう。(まあ、普通の風邪と一緒です)

もちろん、重症化した人は入院させ治療を行うことになります。

人工呼吸を施すということも必要に応じて実施されたでしょう。

 

ただし、感染者の周囲の人々に注意は喚起されるでしょうが、「有症状者」は診断を受けるかもしれませんが「無症状者」はそれ以上どうしようもありません。

かかっているかもしれないから、何かあったらすぐに医者に行けという注意ぐらいしかできません。

つまり、今のような「無症状者まで含めたクラスター発生確認」というものはできなかったわけです。

 

そのような無症状感染者からの感染拡大は起きるでしょうから、さらに大きな感染者発生は起きたでしょう。

これは、結局現在のアメリカやブラジルの状況と同じというだけです。

数万、数十万の感染者が発生し、死者数も桁違いに多くなったかもしれません。

 

しかし、今のように飲食業、観光業の企業がバタバタと倒産という事態にはならなかったでしょう。

どちらが良いかということは言えませんが、技術の発達が良いことばかりではないということも事実です。

まあ、その場合東京オリンピックパラリンピックは予定通り開催されていたでしょう。

肺炎流行に加え、40℃に近い暑さでおそらく相当数の人が倒れていたでしょう。

その人たちが無事に済んだということは言えるかもしれませんが。