爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

私の「ラーメンの思い出」

NHKの夕方の番組で「ラーメンの思い出」という内容で放送していました。

それで自分も記憶の中のラーメンというものをまとめようという、いつもの「お題頂き」です。

 

古い方では、昭和30年代の名古屋。

私はまだ幼児のころです。

父がラーメン好きだったのか、日曜の昼食にラーメンを食べるということが度々ありました。

とはいえそのころはまだインスタントラーメンもなく、近所のラーメン屋に母が頼みに行って(電話もまだなかったため)出前をしてもらっていました。

味などはまったく覚えていませんが、おそらくは醬油味の昔風のものだったのでしょう。

ところがそのすぐ後にあの「日清チキンラーメン」が発売されます。

新しもの好きの父はすぐにそれに乗り換えました。

母も手間がはぶけ価格も安いとあって大喜び、日曜昼のラーメンはインスタントになってしまいました。

安く簡単とはいえ、味もボリュームも店のラーメンとは大差があり、がっかりした覚えがあります。

 

それから飛んで高校生時代の昭和40年代の神奈川県藤沢。

普段は昼食は母の弁当だったのですが、土日に出かける時は昼食は藤沢周辺で食べることもありました。

よく入った店が藤沢駅前の「藤沢名店ビル」の地下の中華料理屋。(名前は忘れました)

大衆的な店でラーメン専門ではなく他の料理もいろいろとありました。

その中で印象深いのが「サンマーメン

最初はサンマの切り身でも入っているのかと思いましたが、どう見ても普通の餡かけラーメン。

後で知ったことですが、中国由来のもので横浜周辺で食べられていたもののようです。

なお、藤沢名店ビルはもう築60年以上とか、近く取り壊され再開発されるようです。

あそこの有隣堂にはよく寄ったものです。

 

そこからさらに飛んで昭和50年代、熊本県八代。

会社に入って八代に赴任、初めての寮生活となりました。

寮は日曜は食事がないため外食となりました。

今では熊本ラーメンという、豚骨ラーメンが有名ですが、当時はまだまだ出始めてきたばかりのようでした。

当地八代は江戸時代から長崎貿易で栄えた商業の町であり、長崎そして中国との結びつきも強かった町です。

そのため本場の影響の強い中国料理店というものが多く、何気ない料理屋に入って調理師の名前を見ると中国人名ということがありました。

そういった店では熊本ラーメンなどは出ておらず、中華風の麺類が多かったようです。

私も常日頃の食事が野菜も少ない食事だったので、できるだけ摂ろうと野菜多めの五目麺などを食べることが多く、熊本ラーメンはあまり食べませんでした。

それでも昔風の中華料理店は徐々に減っていき、かなり少なくなってしまいました。

 

ラーメンはよく食べていた方ですが、最近は外食する機会もすっかり減り、気が付いてみれば外食でラーメンを食べたという記憶がしばらくありません。

家でカップ麺はしょっちゅう食べるのですが。