爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「PCR検査装置」が無かったら今回の肺炎流行はどうなっていたか。

新型コロナウイルス肺炎の大流行で、誰もが名前だけは聞くようになった「PCR検査」ですが、それほど古くからあるものではありません。

 

DNAポリメラーゼという酵素を使い、さらに目的とする遺伝子DNAの構造を考慮することで短時間でその遺伝子が含まれているかどうかを検出するのですが、その原理をMullisが開発したのが1983年です。

それを利用して装置が作られてきたのですが、最初の頃は単に温度制御をしてポリメラーゼを巧妙に働かせるのみで、検出は出来上がったものを電気泳動にかけて行っていました。

(私が装置を見ていたのもこの時代です)

 

それをさらに検出装置まで組み合わせて、「リアルタイムPCRシステム」というものに発展させてきました。

おそらく、その一つであろうと思われる企業の記述が以下にありますが、「20年の歳月をかけて開発した」と書かれています。

www.thermofisher.comどうやら開発の最初からでもまだ20年以内のことのようです。

普及してきたのは10年内といったところでしょうか。

 

そこで、表題の「もしもPCR検査装置が無かったらこの流行はどうであったか」というところに思い至ります。

その可能性は十分にあり得たところです。

 

現在のリアルタイムPCRでなくても、DNAの検出と特定自体は不可能ではありません。

しかし、それには非常に長い時間と特別な研究者が居なければできなかったでしょう。

したがって、例えば肺炎での死者が出た場合にあとからその感染菌がCOVID-19か、それ以外のウイルスや細菌かといったことを調べることはできたでしょうが、瞬時とも言える時間で多くの検体を処理などと言うことは全く不可能だったでしょう。

 

その場合、どのような社会の動きになったかと言えば、重篤患者、死者の発生はまったく今回と同様でしょう。

全く違ったことになるのは「無症状」あるいは「軽症状」の感染者の検出です。

これはリアルタイムPCRなしには全く不可能だったでしょう。

 

そうなれば、今のテレビ番組で常時出ている「今日の感染者検出数」の代わりに「今日の肺炎入院者数」が出るのですが、その数はかなり低かったでしょう。

 

無症状感染者を調べる術はほとんどありませんので、「重篤肺炎患者」の濃厚接触者を調べても、症状が出ない限りは感染者かどうかを決定できなかったでしょう。

それで感染者がさらに多数に広がったかもしれません。

 

そうなれば重篤患者や死者は現状より多くなったと予想できます。

 

ただし、逆に大きな違いは人の移動制限や商店などの営業自粛といった事態には至らず(その前提となる感染拡大が証明できない)、経済的な沈滞はそれほど大きくなかったかもしれません。

 

感染による死者をできるだけ少なく抑えるということが至上命題ですから、今のような検査機器が進歩した時代ではそれを使わずに知らん顔をすることはできないのですが、それができたがために、かえって社会の動揺が拡大されたと言えないこともないようです。

今となってはその「巡り合わせ次第」という運命にため息が出るばかりです。